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市議会の地方自治縮小反対運動

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 対日講和会議を前にした昭和二十六年五月、占領下諸法規の見直しを図ろうとして、吉田首相は政令諮問委員会を設置した。八月にその答申が提出され、九月には地方行政調査委員会議の第二次勧告が出された。翌年八月には地方制度調査会が設置され、九月には地方自治法の第四次改正がなされる。こうした過程の中で、地方自治、地方議会権限の縮小をもたらすような改革案が次々に提示され、制度改正が行われていった。これに対して札幌市・市議会は積極的に反対運動に取り組んだ。
 二十七年末頃から自治体警察廃止問題が大きな議論を呼び、国政の重要問題となった。市議会は二十八年三月、十月、翌年一月の三回、自治体警察廃止反対決議を可決した。三回目の決議は、市議会地方制度調査特別委員会委員長谷口甚作他五人が上京して本道出身衆参議員、衆議院の行政委員長などに面会し、決議文を提出した。斎藤忠雄市議会議長は全国市議会議長会の自治確立総決起集会に参加して弁士に立った(八期小史)。高田市長は、自治体警察は住民自治の確立に大きく貢献するもので、非能率不経済の面もあるが札幌も含む大都市では自治体警察の維持が可能と考えていた(市政私記)。しかし、二十九年六月七日、警察法の改正がなり、自治体警察は六年四カ月で姿を消すことになった。
 市議会は、二十六年十一月には「地方議会制度の改革反対についての決議」を可決し、議員の名誉職化、議員定数の削減、常任委員会の廃止という政府の議会制度改革に反対した。二十八年十月には地方制度調査特別委員会を設置し、翌年一月に「地方制度改革に関する決議」が同委員会より提出、可決された(これが三回目の自治体警察廃止反対決議)。その「前言」は、「政府は占領政策の行過ぎ是正に名を藉り、行政の能率化、合理化の美名に隠れて、地方制度を抜本的に改革し、中央集権の強化を企図しつつあるが、これはまさに限りなく発展する近代民主社会における地方自治体の進路を阻むものであって、時代逆行も甚だしいものといわねばならない」と言い、自治体警察の存続の他に、府県の官庁化の防止、行政委員会の拡充、監査委員の必置化、常任委員会制度存続、地方税源の強化、国の委任事務の国庫負担化、など幅広い範囲にわたって地方制度改革の意見を提案した。また十二月には自治庁の三十年度地方財政計画に対して意見を述べた「地方制度の改革に関する決議」を可決し、地方の自主財源の圧迫、市町村の弱体化を非難した(八期小史)。
 三十年五月にはまた政府から地方自治法改正案が出され、地方議会側から地方自治法改正案反対運動が繰り広げられた。札幌市議会は即座に「地方議会制度の改革反対に関する決議」を可決、翌年五月には「地方自治委員会(仮称)設置法制定の要望に関する決議」、「地方自治法の改正に関する要望決議」、教育委員会制度廃止に反対する「教育行政制度の確立に関する要望決議」を可決した(八期小史)。