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町内会の定着

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 昭和三十年代に入ると、町内会等の地域住民組織は、市内全域にわたって結成され、市民生活の中に定着して行った。その動きは、戦前からの札幌市域のみではなく、戦後の合併により市域に編入された旧町村地区においても同様であった。ただし、町内会結成に至る経緯は各地区によってそれぞれ大きく異なっている。そのため、ここではいくつかの典型的な例を見ておくことにしたい。
 まず、宅地化の急速な進展によって住民が増加し、町内会結成に至ったものがある。例えば、現在の元栄町内会地区(東区)では、昭和三十年代半ばから宅地化が急速に進んだ。三十七年(一九六二)には、町内の有志から町内会結成が提起され、話し合いがもたれた結果、翌三十八年にHBC送信所地区町内会が設立されている(元栄町内会 町内会創立二十五周年記念誌)。
 さらに、戦後建設された市営住宅等の団地の住民が新たに組織したものがある。例えば、三十年十月、現在の本郷通一〇丁目(白石区)に建設された市営住宅では、同年十二月に東友会という名称の町内会を発足させている(東白石地区連合町内会 三十年記念誌 東白石 以下東白石)。また、三十九年から分譲が開始された下野幌地区(厚別区)の市営住宅でも四十二年以降、次々と自治会が結成されていった(青葉町自治連合会編 青葉のあしどり 青葉町連二十年誌)。
 戦後新たに創設された町内会に対し、戦前期あるいは終戦直後から存在した地域住民組織が発展する形で町内会となったものも多い。例えば、現在の南郷中央会地区(白石区、旧白石村南郷地区)では、二十三年に住民の増加によって南郷部落会から分離独立し、郵政自治会国鉄自治会を発足させた。その後、三十五年に至り、両自治会を解散・合併して町内会を発足させている(白石地区連合町内会三十年記念誌・南郷中央会創立三十周年記念誌)。また、現在の柏町内会下白石町内会地区(白石区)では、終戦後、農事実行組合町内会のような役割を果たしていた。三十年に至り、新たに柏山部落会を発足させている。その後、宅地化の進行により住民が増加し、三十六年には改称の上、二つの町内会に分割した(東白石)。
 このように、札幌市全域にわたって町内会の数は増加して行き、二十七年までに三〇、二十九年三五、三十九年一七一、そして四十六年には一二八七となった(笹森秀雄 戦後の町内会組織の復活について(下))。
 これらの町内会が結成に際して掲げた活動目標には、地域住民間の親睦など町内会内のみで実現可能なものもあったが、街灯の設置・道路の改修など市当局に要望することによってはじめて解決されるものがほとんどであった。そのため、各町内会は市に対し様々な請願や陳情を行った。例えば、南郷東町内会(白石区)では、三十三年の発足後、町内会の役員が道路の整備について「市当局と交渉し」た結果、砂利が散布されるなどして「人も車も通れる道とな」ったという(東白石)。
 また、昭和三十年代以降、町内会のみではなく、町内会の連合組織である連合町内会も相次いで結成されていった。例えば、美園地区においては、豊平町が札幌市に合併される以前の三十三年に美園自治会連絡協議会が結成され、合併後の四十年に美園地区町内会連合会となっている(美園地区町内会連合会 30年のあゆみ)。連合町内会もまた、町内会と同様に市に対する要請を行う主体としての役割を果たしていた。白石地区連合町内会は、三十一年の結成以来「数知れない範囲で」陳情を行ってきたという(白石地区連合町内会 三十年記念誌)。また、請願などとは異なる形で市当局へ意見を申し入れる試みも行われ始めた。三十六年二月に発足した東札幌町内連合会は、同年六月に同連合会主催による初の市政懇談会を開催した。これには、市側から市長・助役等一七人と、地域住民一三〇人が参加したという(東札幌町連20年史)。町内会町内会連合会などの地域住民組織は、量的に増加したのみではなく、市政との関わりという面でも重要性を増していったといえる。