高度経済成長の時代に入り、昭和三十五年には池田内閣によって所得倍増計画が打ち出された。この頃より、国は地域格差や大都市への人口集中の抑制も視野に入れたより大規模で全国的な地域開発政策を構想し始めた。自治省は地方基幹都市建設計画を、建設省は広域都市建設計画を、また通商産業省は工業地帯開発促進計画を提出した。原田市長は三十六年三月の市議会の予算提案説明において、前年に策定した市の「主要事業一〇年計画」は市内に主眼をおいたものであり、「政府の構想に対応するためにはいささか物足りない」ので「今後は本市が中心となって本市の隣接町村を含め、産業基盤を確立する方策を講ずる必要がある」と述べた。市議会も同月、「豊平町の合併に伴う広域都市建設に関する調査特別委員会」を設置した(十一期小史)。七月になって自民党の「新産業都市建設促進法(仮称)要綱案」が公表され、翌年五月に新産業都市建設促進法が成立すると、市・市議会は新産都市指定に動いた。七月に道央地区の市町村長による道央新産業都市建設期成会が、八月には市町村議会議長による道央新産業都市建設市町村議会議長協議会が組織され、これらの組織と札幌市・市議会は道知事・道議会・道選出国会議員・主要関係大臣に積極的に陳情、懇請がなされ、指定運動が行われた。三十九年四月四日、札幌市の他、小樽・室蘭・苫小牧・千歳・江別の五市、手稲・石狩・恵庭・余市・追分・早来・厚真・鵡川・白老・登別・虻田・伊達・広島の一三町村よりなる「道央地区新産業都市」が指定された。
この新産都市指定に対応して、原田市長は従前の「主要事業一〇年計画」を改訂し、四十年度より実施の「札幌市建設六年計画」を策定した。そこで計画された事業は、①道路等輸送施設の整備、②用地造成及び住宅建設、③上下水道等の整備、④環境衛生、医療及び社会福祉施設整備、⑤公園及び観光施設整備、⑥文教施設整備、⑦産業振興事業、⑧市庁舎その他、であった。総事業費は三三五〇億円で、そのうち国費五一六億円、道費一二九億円、民間一七〇〇億円、市費一〇〇四億円の計画であった。事業別では、用地造成・住宅建設が最大の一六九八億円で、次いで道路・輸送施設整備八五〇億円、上下水道整備三二三億円、文教施設整備一四二億円となっていた。市の事業分では上下水道と文教施設の整備の比重が特に高かった(十一期小史)。