いわゆる五五年体制下での初めての総選挙は昭和三十三年五月二十二日に実施された。全道では、
自民党一一、
社会党一一の各議席数となり、改選前の
自民党一四、
社会党八の保守優勢の議席配分がうち破られた。札幌市が含まれる北海道第一区では、
自民党三、
社会党二で、札幌市の自社の得票数はそれぞれ七万一四五六票、七万三二四四票で拮抗していた。保革の得票割合で見ると、戦後の総選挙で初めて革新側の得票数が保守側の得票数を抜いた選挙であった。
その後の北海道一区の議席は、三十五年、三十八年は
自民党三、
社会党二のままで、四十二年、四十四年には公明党が割り込んで、
自民党二、
社会党二、公明党一であった。表2で札幌市の得票数を政党別に見ると、三十三年から三十八年までの三回の選挙では自社は拮抗状態にあり、
社会党が各回とも若干上回っていた。四十二年以降は、公明党、共産党が伸び出し、民社党も立候補者を出すなど、
多党化現象が見られ、
自民党と
社会党の得票率は大きく減少する。
原田市政の第一期は自社の二政党拮抗期であったが、第二期以降は
多党化現象が大きく進展した時期であった。しかし、それでも
社会党が最も多くの票を獲得しており、次いで
自民党が第二位であった。
表-2 札幌市の総選挙における政党別得票率 (単位:%) |
年月 | 自民 | 民社 | 公明 | 社会 | 共産 | 諸派 | 無所属 |
昭22. 4 | 33.23 | | | 24.95 | 2.97 | 20.97 | 17.88 |
24. 1 | 46.67 | | | 19.98 | 6.43 | 20.70 | 6.21 |
27. 1 | 54.68 | | | 37.09 | 4.20 | 4.03 | |
28. 4 | 59.46 | | | 36.59 | 3.95 | | |
30. 2 | 37.82 | | | 42.83 | 2.88 | | 16.48 |
33. 5 | 46.93 | | | 48.10 | 3.40 | | 1.57 |
35.11 | 43.72 | 3.66 | | 46.34 | 1.78 | | 4.50 |
38.11 | 47.98 | | | 49.28 | 2.74 | | |
42. 1 | 33.44 | | 13.61 | 44.19 | 4.08 | | 4.69 |
44.12 | 24.90 | 7.32 | 15.90 | 33.33 | 8.07 | 0.07 | 10.41 |
47.12 | 24.20 | 8.10 | 12.00 | 31.80 | 16.70 | | 7.20 |