札幌市が再度、立候補することについては、落選直後からも要望が各界より出されていた。例えば、道スポーツ七団体が三十九年二月八日に要望を出している。市議会でも再立候補を求める意見もあり、札幌招致委員会でも解散前の二月二十四日の委員会で再立候補を決定し、その後、市に対して経済団体が要請し、市体育連盟が陳情するなど市民団体からの要請、陳情が相次いでいた。そして経済、文化、体育など三七の団体・組織を糾合したオリンピック冬季大会札幌招致推進会議が、四月二十七日に発足した(議長広瀬経一札幌商工会議所会頭)。同会議では市、市議会へ対し早期に招致の意志表明を求め、陳情活動を続けていた。
市民の間でも、招致について意見が分かれていた。市議会には招致促進と延期という、二種の正反対の陳情が寄せられ、再立候補問題については六月、十月の総務委員会でも決定が持ち越しとなっていた。
それが東京オリンピックの成功によって招致促進派の方がまさっていき、十月二十五日にブランデージIOC会長が来札した際、札幌が有望であることを言明したことにより、招致運動がいよいよ本格化することになる。
札幌市も市民の反応をうかがい、すぐには再立候補の態度は表明しなかった。しかし、第一一回大会の開催地決定が当初より二年繰り上がり、四十四年五月となったことから、日本での開催を目指すJOCが十二月に至り、一九七二年(昭47)の冬季オリンピック開催候補地を、四十年一月八日までに決定することを決めたために、札幌市も早急に態度を決定する必要に迫られることになった。それは態度表明が遅れると、国内の他都市が立候補する恐れのあったこと、再び誘致運動の準備不足を招く結果ともなることが危惧されたからである。これに合わせ十二月十七日に、オリンピック冬季大会札幌招致推進会議、北海道体育協会ほか八団体が立候補を市議会へ陳情しており、市も態度を決定して同月二十一日に市議会へ市長議案として、「オリンピック冬季大会札幌招致に関する議案」を提出した。この議案は先とは異なり招致年次を限定しないものであり、目的達成まで誘致活動を継続するという不退転の決意が秘められていた(原田與作 聖火が燃えるまで)。二十三日の市議会にて採決に入り社会党、共産党は反対に回ったが賛成多数(賛成三五、反対一五)で可決され、正式に再立候補が決まったのである。