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敗戦後の地方財政

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 敗戦直後の地方財政は、経済活動の著しい低滞によって税源が縮少したにもかかわらず、戦災復興事業の推進、住宅建設、公共建築物や公立学校の復旧、また物価騰貴に伴う職員待遇改善費の計上、戦争協力公債の元利償還などによる歳出増を迫られて窮乏化の度を深めていた。
 地方財政の窮状に対処すべく、内務省は、昭和二十一年度(一九四六)の地方公共団体の予算編成に関して、財源の確保による地方財政の自主性と地方財政調整を強化することを目標に挙げ、その具体策として、地租・家屋税・営業税の増税とこれら三税の地方独立税化、市町村民税の増税、所得税付加税の創設、使用料・手数料の値上げ、配付税の増額、国費地方費負担区分の是正、補助金政策の廃止などを提言した。以後、政府と占領軍による地方財政改革は、復興事業を推進する地方財政にいかに財源を付与し、国と地方、あるいは地方団体間の財政調整をどのように進めるかに焦点が絞られていくことになる。
 翌二十二年の税制改正では、昭和十五年に創設された地方分与税制度のもとで、国税として徴収した後府県に還付されていた地租・家屋税・営業税が、同制度の廃止によって鉱区税、遊興飲食税とともに都道府県税になり、市町村はその付加税を課税することができるようになった。この結果、地方分与税はその一方の柱となっていた還付税を失い、これまで地方配付税と呼ばれていた所得税、法人税、入場税の一部を指すようになった。
 二十三年になると、地方税法が改正され、地方配付税法および地方財政法が制定公布された。そのうち地方税法の改正は、入場税と狩猟免許税を地方に移管し、新たに地方税として事業税、鉱産税、電気ガス税、木材取引税、使用人税、余裕住宅税を創設するというものであった。また地方配付税法によって、従来の地方分与税は地方配付税に名称変更され、六・三制義務教育や市警察の発足に伴う財源を手当てした。その他、入場税が地方独立税となり、道府県分と市町村分の割振りの適正化が図られた。
 昭和二十四年度は、ドッジ・ラインによる超均衡予算が施行され、大蔵省の表現では、「曾ての井上財政に近いもの」となった。また地方債の発行とともに当年度予算の焦点となった地方配付税については、当初司令部は大幅な削減を内示したが、年度途中にシャウプ勧告が出されて増額が認められた。
 二十四年九月にその全文が発表されたシャウプ使節団による税制改革勧告案によれば、二十五年度の地方予算は、都道府県と市町村を合わせて前年度に比較して四九〇億円の増加となり、その歳入面での内訳は、①地方税を四〇〇億円増収、②地方団体の財政不均衡を調整する方策として新たに地方財政平衡交付金一二〇〇億円を計上、③補助金四〇〇億円減収、④地方配付税五八〇億円減収、⑤純起債一七〇億円増収、⑥寄付金及び制限外課税三〇〇億円減収であった。そして①の地方税四〇〇億円の増収分については、都道府県税については増減なしとし、すべて市町村税の増収とした。
 要するに、シャウプ勧告の地方財政強化の理念は、多種多様であった付加税を廃止して市町村税と固定資産税を中心にした独立税主義を確立すること、及び国からの交付金として、従来の配付税に代わる平衡交付金制度を新たに導入することにあった。そして同交付金の総額は、地方財政委員会が、地方団体によって提出された基準財政需要額及び同収入額をもとに算定し、国の予算として計上することを内閣に勧告するという、一種の積み上げ方式によって決定された。
 その後二十五年度予算の執行中の同年八月に、シャウプ勧告をうけた改正地方税法が施行され、市税制度は以下のようになった。(一)市民税は所得割額と均等割額を課税し、法人にも法人税割を課税する、(二)所得割の標準税率は所得税額の一八パーセントとする、(三)均等割の税額は、札幌市の人口では、個人五〇〇円、法人一八〇〇円とする、(四)固定資産税の標準税率は一・六パーセントとする、(五)固定資産税の基準となる土地等の評価額は、農地以外の土地及び家屋については賃貸価格の九〇〇倍、農地は公定価格の二二・五倍、償却資産の評価額は再評価の限度額を最高限度とする。
 このようにシャウプ勧告によって地方財政、とりわけ市町村財政の強化が図られるのであるが、勧告の精神を体現した地方財政委員会が作成した昭和二十五~二十七年度の地方予算もしくは地方財政計画は、ことごとく大蔵省の反対をうけ、特に平衡交付金は大幅に削減された。また同委員会も二十七年八月に自治庁に吸収されて解消した。そして平衡交付金制度も、二十九年度からは地方交付税制度に改められた。その背景には、中央=大蔵省と地方団体の「政治的コンフリクト」を回避しようとする大蔵省の判断があった(昭和財政史 終戦から講和まで-16 地方財政)。