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特別会計・企業会計の動向

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 交通事業では、三十一年度には八路線すべてが黒字路線となって一億円の純利益を出していた市電に比較して、バスは赤字続きであった。そして市電の一億円にのぼる黒字は、バス事業の赤字を補塡してなお車庫の整備、新車の購入、軌道整備など大部分の臨時事業費を賄っていた。これに対してバスは二〇ある系統のうち三分の二は採算ライン以下の赤字路線であったが、三十二年度からは独立採算制の下で収支が均衡し、車両の増加を図った(道新 昭33・2・12、2・20)。
 三十四年度の特別会計には、国民健康保険特別会計が新たに加わった(表6)。同事業は、三万六〇〇〇世帯を対象に市費を二〇〇〇~四〇〇〇万円投入して実施されることになったが、同事業を審議する特別委員会では、保険料と給付率に質疑が集中した。まず、加入世帯の所得に配慮して保険料を低額にし、給付率を世帯主だけでも七割給付にすべきであるとの意見が出たが、市側は財源の上限は四〇〇〇万円であり、他の先行都市と比較しても、札幌市の加入者一人あたりの負担額は他市の四倍の二六七円にものぼっているとしていったんは要求を退けたが、結局世帯主の入院料を七割給付、その他医療費は五割給付とし、さらに将来は往診料も含めて七割給付を実現し、給付期間も三年を延長することで決着をみた(道新 昭34・1・10、1・13)。
 三十四年四月の市長選挙で、高田市政のもとで助役を務めた原田與作が初当選した。原田は、六月の第二回定例市議会で施政方針演説をおこない、当面の重点施策として、(一)都市計画と区画整理の推進・道路網の整備、(二)上下水道の延長、(三)PTA負担の軽減・道立高校新設の要請、(四)婦人会館の建設、(五)中小企業の振興と農業の安定・工場誘致をあげた(十期小史)。高田市政から原田市政へと移行した札幌市も、日本経済の高度成長とともに本格的な「都市の時代」を迎えることになる。