昭和三十八年(一九六三)年頭『北海道新聞』は、札幌を含む道央地区に新産業都市建設促進法の指定を受けることで、札幌は消費都市から生産都市へ脱皮出来ると評した(道新 昭38・1・1)。そして七月その道央地区が、新産業都市建設法指定の閣議決定がなされた。原田札幌市長はその事について、「本道の心臓部が国家的バックで開発が促進されるわけですから、札幌もその一員として生産都市化を目ざさなくては」として、七年後札幌圏は工業生産で五倍、商業売上高で七倍となると豪語し、「さしあたっては企業誘致を第一に新空港、札樽新港、石狩港の実現、整備に力を注ぐ」と力説した(道新 昭38・7・12夕)。またこれより先の四月一日から第二期北海道総合開発計画が実施にはいる。
三十八年九月札幌市は新産業都市の仮指定を受けたことで『札幌建設基本計画案』を発表した。新聞に発表された計画案によると、第二期北海道総合開発計画に合わせて昭和四十五年度を目標として、原田市長が主張する「消費都市から生産都市へ」の脱皮をめざして工業を中心とした産業の振興、企業の誘致と積極的に取り組む姿勢を示し、産業基盤の整備、都市施設の充実にも力を入れることとして住宅団地の造成、道路網の整備を急ぎ副都心を建設して計画的な都市づくりを進めるものと紹介している。新聞に紹介された内容をみると、人口については昭和四十五年に九〇万人と推定、無秩序な市街地形成を防ぐため広域的な視野から副都心の建設と工業の適正配置に留意して、厚別・豊平方面に住宅都市的な副都心と、琴似・発寒を中心とした手稲方面に工業都市的副都心を建設する。産業振興計画では、道内産業の自給度を高めるため産業機械、輸送用機械、電気機械などの機械工業の誘致をはかり、工業出荷額、従業員、さらに商業についても伸張させる。土地利用計画では、工業地域を発寒・琴似・篠路・茨戸・苗穂・菊水・東札幌に配置、住宅地域は厚別・平岡・真駒内に集約的に配置する。産業基盤の整備は、北回りの高速幹線道路、市内南北縦貫道路、北一条代替路線などの新設。舗装道路を三倍に拡張するほか、宅地の造成や豊平川に多目的ダムを建設するなどがあげられている(道新 昭38・9・16)。