新しい札幌駅とステーションデパートの開業に象徴されるように、札幌の商業は昭和二十六、七年をさかいに、新たな発展の段階にはいった。そのなかで「市政のガン」といわれ最も解決が急がれたのは、露店問題である。二十七年になっても札幌市内には、露店が無許可のものを含めて約七〇〇軒あったといわれているが(道新 昭27・4・1)、なかでも最も懸案となっていたのは、創成川畔の露店問題であった。同年六月十八日には市と市警が創成川畔の露店即時撤去方針を露店業者に通告した(道新 昭27・6・19)が、これに対し露店業者たちは、市議会に「更生」の道をたてるための猶予期間として十月下旬までの出店、もしくは二条魚市場周辺地区を露店指定地として提供してもらいたいとする陳情を提出した(昭27四定会議録)。この陳情は市議会建設委員会で不採択となったが(道新 昭27・7・1)、市議会のなかには撤去の一時延期を主張するもの、創成川畔を露店指定地にすることを支持するものもおり、七月三日に設置された露店対策特別委員会でも、創成川畔を指定地とすることを支持する委員会とあくまでも撤去をめざす市側が対立することとなった(道新 昭27・7・6)。
その後、七月八日になって創成川畔の露店業者は自主的に立ち退きを申し入れ、市の方針に従い南一、二条の西九丁目の指定地に移転することとなった。これに対し付近の住民から反対の陳情もだされた(道新 昭27・7・12)が、いざ移転してみると客足はなく売り上げも創成川畔の三分の一にも満たなかったため(道新 昭28・7・19)、結局はもとの創成川畔に舞い戻る露店商が多く、九月ごろには露店の営業はほとんどみられなくなり、結局西九丁目の露店指定は取り消された。
一方、七月十一日露店対策特別委員会は、露店は大都市として存在を認めるべきではなく、漸次「更生」させ廃止すべきだとする基本方針をもとに、(一)全市にある露店指定地を白石三条線を除き全面的に廃止し、創成川畔を暫定的指定地に設定するが、近い将来には全面的に廃止する、(二)露店商の「更生」対策を推進し金融の斡旋、資金の貸し付け、巡回市の開設を積極的に行う、などの委員長報告を行い、市議会で承認された(昭27四定会議録)。しかし市側はあくまで創成川畔を露店指定地とする案に反対し、結局九月十二日市露店整理対策委員会で創成川畔を巡回露店市とすることに決定した(道新 昭27・9・14)。これにより創成川をはさんで南一条から南四条までは、月六回の指定日に露店商が出店できることとなり、これより先八月九日には市と業者のあいだでその他の巡回露店市の開催場所も決定され、南一六条西六、七丁目、南九条西一五、六丁目、南八条西四丁目鴨々川川畔、豊平三丁目線八二稲荷前など市内一〇カ所が選定されたが、地元業者の反対もあり、客足も今ひとつで、結局創成川畔の出店日を月一二回に増加することとなった(道新 昭27・10・28)。