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デパートの拡充

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 都市におけるデパート経営は、人口三〇万につき一軒の割合が望ましいといわれていたが、札幌には丸井今井、三越五番舘と三つのデパートがあり、一一万人に一軒の割合で、その数が多いことは全国でも屈指であった(道新 昭26・10・31)。この三つのデパートは、市内全小売店の売上の約四割に相当する金額を販売しているといわれ、昭和二十七年の場合、三デパートの売上高が三八億四八二五万円であるのに対し、同じ商品を扱う小売店三三七三軒の売上高は九六億八九七七万円で、三デパートで市内小売店の一三〇〇軒分の売り上げがあった。さらに衣料品は、三デパートの売上高一九億円に対し、小売店一〇五軒で八億五〇〇〇万円、小間物化粧品など雑貨類にいたっては三デパートと一一二軒の小売店の売り上げがほぼ同じであった(道新 昭28・3・22)。
 このようなデパートの攻勢に対抗して、各商店は地区ごとの商店組織を結成し、二十七年には駅前通商店街をはじめ二七の組織があり、このうち一六地区が加盟して札幌商店街振興連合会が結成され、売り出しやクーポンによる月賦販売などのサービスを行った(道新 昭27・2・2)。一方、三十一年六月の百貨店法施行により、百貨店が店舗の新築や床面積を増加しようとする際、通産大臣の許可を受けなければならなくなるのを見越して、三つのデパートは三十年から翌年にかけて、そろって新増築にふみきった。三越は、それまでの店舗に接続して地下二階、地上七階(一部八階)の延べ一二九〇坪、総工費約四億円の増築を行い(道新 昭31・1・16)、丸井も北海道で初のエスカレーター二基を三階まで設置し、大通荷扱所の改修、パーラー改修、五、六階東側増築、北側玄関開設工事による売場面積の拡張をし、その後さらに五階食堂を六階に移し、屋上七、八階の大増築を行い、全館八階建てとし、エスカレーターも三基増設して一~六階まで通す大工事を行った(丸井今井百年のあゆみ)。五番舘は三十一年十二月一日北四条西三丁目に総工費三億五千万円で地上六階・地下一階の新館を完成した(道新 昭31・11・29)。百貨店法の公布は、中小小売業者をデパートの攻勢から守るためのものだったことからすれば皮肉なことで、このような三デパートの増改築は、ステーションデパートをはじめ市内の小売業者に危機感を与えたが、一方でデパートに対抗すべく中小業者自身が「ステーションデパート」方式によるデパートの新築にのりだす動きもあった(道新 昭31・11・13)。

写真-5 デパートの増築(昭33)