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農地改革の意味

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 第二次世界大戦は日本の敗戦でその幕を閉じたが、日本を占領した連合国総司令部(GHQ)が日本農業の根幹にある土地問題に関する姿勢が明確でなかった昭和二十年十月、当時の幣原喜重郎内閣の下で早くも農地制度改革の原案が作成されている。十一月に入って、農林省案の「農地制度改革要綱」が閣議に提出された。そこでは自作農創設の五年以内の遂行を目指すと共に、不在地主所有の小作地すべてと在村地主所有の全国平均三町歩を越える所有地を強制譲渡の対象とすることが謳われていたが、閣議では在村地主保有面積の五町歩への引上げなどの修正が加えられ、これに基いて作成された「農地調整法」改正案が、十二月四日第八九帝国議会に提出された。「農地調整法」は、十三年に戦時下の地主・小作関係の調整を目的に制定されたものであるが、この改正案の骨子は次のような点にあった(東京大学社会科学研究所編 戦後改革6 農地改革 昭50)。
①五カ年以内の自作農創設の実現(不在地主の所有する全小作地と在村地主の所有する小作地を強制譲渡の対象とする)
②物納小作料の金納化(換算の基準は地主米価による)
③農民の耕作権の強化(地主の小作地取上げを制限し、農地委員会の承認制とする)
④市町村農地委員会の権限強化と民主的改組(農地委員は公選制とし、地主・自作・小作の各層から五人ずつとする)

 しかしこの改正案には、衆議院で①小作料の代物弁済を認めること、②農地委員会に三人の地方長官選任委員を加えることなどの修正を加えられ、同年十二月二十八日に法律第六四号として公布、翌二十一年二月一日から施行された。これが第一次農地改革と呼ばれるものである。