このようにして、日本政府は再び農地改革に着手することを迫られた。GHQの「勧告」を前提に、二十一年七月二十六日「農地制度の徹底に関する措置要綱」が閣議決定され、小作関係の調整と農地委員会を規定する「農地調整法」の改正と自作農創設のための「自作農創設特別措置法」(自創法)の制定を軸とする第二次農地改革が進められるのである。この二つの法律は、同年十月二十一日に法律第四二号及び四三号として公布され、十二月までに施行された。この結果、十二月中に市町村農地委員会の選挙を実施すると共に、翌二十二年三月三十一日までに最初の農地買収が行われることになった。農地買収は随時行うのではなく、事務処理の都合から第二回目が七月二日に指定され、以後翌二十三年十二月二日までの間に計七回が予定されていた。実際の買収は、二十五年七月二日まで一六回にわたって行われた。その後も、二十五年九月に制定公布された「自作農創設特別措置法及び農地調整法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令」のもとで、二十七年十月まで通算して二六回実施された。
第一回目の買収は比較的容易な不在地主・在村大地主が対象であったが、第二回目以降の本格的な買収を行うには在村地主の小作地保有面積の確定が必要であった。その面積は、まず小作地の保有限度面積により制約され(自創法第三条第一項第二号、二号面積)、その限度内の小作地であっても地主が自作地を所有している場合、両者を合計した面積が一定面積を超えるときには、その超過面積分だけ小作地が買収され(同上、第三項、三号面積)、更に自作地でも、その経営が適正でなければ三号面積を限度として解放の対象となった。この保有面積は北海道農地委員会の検討を経て、二十二年六月二十六日の北海道庁告示第四四〇号により、第二号面積に代わるべき面積は札幌市が〇・八町歩、札幌村・琴似町・手稲村・豊平町・白石村が二・六町歩、篠路村が三・五町歩、第三号面積に代わるべき面積は札幌市が二・五町歩、札幌村・琴似町・手稲村・豊平町・白石村が七・四町歩、篠路村が一〇・二町歩に決定された(前掲 北海道農地改革史・下巻)。