この間(昭和三十一年三月末~四十年三月末)の業況を札幌に本店を置く道内四行についてみてみよう。昭和三十年代の卸売物価は騰落があって結局、約四パーセントの上昇に過ぎず、以下の業況の各項目にみる増大ぶりは各行のめざましい進展を示すものといえよう。
三十年十一月に都市銀行に加入した北海道拓殖銀行の業況は次のとおりである。まず預金は、九〇四億円から三四九七億円へと三・九倍に増加し、貸出金は六七九億円から二九八五億円へと四・四倍に増加した。また資本金は一二億六四〇〇万円から四回の増資を繰返し一二〇億円となった。店舗数は一一二(うち道外一三)から一三五(同二九)に、従業員は四三三四人から五四六五人に拡大し、当期純利益は四億一三〇〇万円から八億七〇〇〇万円へと二・一倍化した(北海道拓殖銀行史、有価証券報告書総覧)。
北海道銀行は、預金は一四三億円から九八七億円へと六・九倍に増え、貸出金は一〇〇億円から八一六億円へと八・二倍に増えた。この間、道内におけるシェアは、預金が一一・一パーセントから一八・八パーセントへ、貸出が一二・〇パーセントから二〇・六パーセントへと拡大した。資本金は二億五〇〇〇万円から四回の増資を経て一二億円となっている。店舗数は六七から八五に増えたが、このうち一店舗は三十一年十二月に開業した東京支店である。従業員は九八五人から一四四二人へと増え、当期利益は五七〇〇万円から二億八六〇〇万円へと増加している(北海道銀行三十年史)。
北洋相互銀行は、資金量は一六二億円から七九七億円(四・九倍)へ、融資量は一三三億円から七四〇億円(五・六倍)へ、当期利益金は一億三〇〇〇万円から二億六五〇〇万円(二倍)へと増加した。資本金は、相互銀行転換時一億五〇〇〇万円、その後二度の増資で三億円となっていたが、三十六年八月に六億円に、三十八年十月に一二億円となった。従業員数は一七〇〇人台から二三〇〇人台へと増加している。店舗数は店舗整備の結果、八〇から八二の微増にとどまったが、札幌市内店舗に限っていえば、四から一七へと急増している(北洋相互銀行50年史)。
北海道相互銀行は、資金量は六一億円から三〇二億円へ、融資量は五二億円から二五六億円へそれぞれ約五倍に増加した。資本金は二億円から三十三年一月と四十年一月のそれぞれ二億円の増資を経て、六億円となった。店舗数は三七(うち出張所一〇)から五三(同三)へと増え、従業員は六八四人から一〇四二人へと増加し、当期純益金は五八〇〇万円から七四〇〇万円に増大した(北海道相互銀行20年史)。なお三十二年五月七日、ススキノ十字街にあった四階建ての本店が類焼するという不幸に見舞われたが、翌年十月には新築五階建て本店が竣工し、「当時のすすきの地区としては堂々たる威容を誇る建物」(北海道相互銀行30年史)となった。