ビューア該当ページ

料飲店の営業停止

435 ~ 436 / 1021ページ
 昭和二十一年六月、内閣は危機的な食糧事情を緩和するために、食糧消費を制限する計画を作成した(価格・配給の安定―食糧部門の計画)。これを受けて、同二十二日内務省警保局長は都道府県知事宛に、高級料理店・高級飲食店は自粛的に臨時休業するよう通達した。指定の料飲店・期日等は地方長官に一任され、北海道では七月一日からの実施が予定された(道新 昭21・6・23)。
 翌二十二年七月一日には、内閣から飲食営業緊急措置令(政令第一一八号)が公布され、外食券食堂・旅館・喫茶店を除く料飲店が営業停止となった。当時の外食券食堂は次の一八店であったといわれる。
ニューグランド(南3西6)、北大病院内共済会食堂、北大内学生食堂、加藤(琴似駅前)、吉田(狸小路6)、だるまや(苗穂駅前)、第一(南4西4)、第二(南3西5)、奴すし(北7西1)、三越(南1西3)、丸井(南1西2)、五番舘(北4西3)、ユーゴー(南4西3)、明治(南3西3)、みかど(札幌駅前)、市民食堂(南6西4)、衆楽(南5西2)、百留屋(南3西2)
(札幌グランドホテルの50年)

 この政令は、七月五日から同年十二月三十一日までとされていたが、引続く食糧不足を考慮して、二十四年四月三十日まで延長された(政令第四四号)。
 料飲店の営業停止を受けて、八月七日大通六丁目広場で北海道地区料飲業再開促進大会が開かれている。割烹・飲食店・会席料理・料理の組合関係者をはじめ、市内の業者・従業員六〇〇人以上が集まり、生活の窮状を訴えるとともに、知事と財務局長に宛てて、飲食営業緊急措置令の撤回を求める嘆願書を提出した(道新 昭22・8・8)。この政令による失業者は約六〇〇〇人にも上るかと懸念されたが(道新 昭22・7・3)、実際には業者の転向および転業は難しく、多くの裏口営業や規定外の料理を提供する違反者を生み出した(道新 昭22・11・8)。このため、北海道警察部による取締りが繰返し行われたが、「表座敷に灯はなくとも奥の四畳半では豪勢なヤミ宴会」といった裏口営業は、引続き繁盛していた(道新 昭22・12・16)。