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進駐軍労務傭員

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 占領軍の移駐に伴い、市内各所に分散した進駐軍施設や宿舎の維持運営のために、大量の労務提供が要求された。労務と物資の徴発は、占領地の財源・資力に応じた範囲内で行うとした、ハーグ国際条約(一八九九年)に基づき実行されたからである。当初の労務調達は、連日の新聞「広告」(写真4)にもみられたように、二十年十月十日に設置された終戦連絡札幌事務局(昭21・10・14北海道事務局に改称)の指示により、北海道庁厚生部勤労課と札幌勤労署が職業斡旋業務として開始し、あわせて給与支払いと労務管理も行った。財源はすべて占領経費・終戦処理費として国費から支出された。

写真-4 進駐軍労務者募集広告

 職種は日雇い作業員や、進駐軍部隊・事務所で勤務する通訳やバーテンダーなど多種多様であったが、すべて進駐軍の要求時に対応させるため、当初は突発的で計画性に乏しく、兵舎建設作業では札幌勤労署が、市を通じて公区・班への進駐軍勤労奉仕の割り当ても行った。市は二十年十月十二日~十一月三十日の期間、「毎日一一五人ずつ」を出役させた(昭20事務)。二人が動員された桑園連合公区第十公区第十班の日誌によると、二〇~五〇歳男子に五~七円が支給され、特別加配米一人当たり一四〇グラムも配給された。また進駐軍が直接雇用したり、請負業者に業務と労務員募集を一任する方法もとられた。グランドホテルの掃除夫をした倉島齊(当時北海中学生)は、「レイバー・プール(労務者集合所)に指定された一条橋近くの道路に毎朝集まり、アメリカ兵や通訳や手配師みたいな男に選び出されてトラックで各所の作業現場へ」運ばれた。帰りに賃金チケットを受け取り換金すると、一七円だったと証言する(倉島齊 米軍基地キャンプ・クロフォード 札幌の歴史41号)。折しも、失業者や学生などが札幌の街に溢れ、札幌日傭勤労署(大通東4)窓口には先着順のため、高賃金の進駐軍施設の仕事を求める人々が早朝から列を作り殺到した。
 キャンプ・クロフォードの建設が本格化する二十一年春以降は、常傭労務者が急増したため二十二年三月二十日に札幌日傭勤労署真駒内出張所が開設された。ところが、一二〇〇人の常傭労務者の給与支払いや労務管理などを、札幌進駐軍要員労働組合に委嘱してGHQに是正させられたり、賃金支払い方法も、二十一年七月に常傭形態が確立する以前は、日傭日払い方法を採用するなど混乱した時期が続いた。
 労務調達システムが整備されたのは、国が物資と労務調達の整理機関・特別調達庁を開設し(昭22・9)、二十三年一月に北海道総務部が渉外労務課を設置、札幌・真駒内両渉外労務管理事務所が開設されて直傭労務管理業務の統轄を開始した以降である(表12)。福利厚生の充実や給与の国家公務員ベースへの改善なども行われ、「同一労働同一賃金」の男女差別解消や、アメリカ式能力別給料制の導入に加え、特別加配煙草・酒類・自転車などの優遇策も実現した。一方、二十四年一月、請負業者に一任されていた間接雇用労働(P・D労務)制は廃止された。GHQが調査した結果、請負業者と「労働ボス」による過剰労働者数や時間外手当など、大量の水増し請求が判明したためでもあった(占領軍調達史 役務、GHQ日本占領史 物資と労務の調達)。
表-12 札幌・真駒内―進駐軍労務・役務調達傭員,雇用関係の仕組み(昭和23.1~27.4.27)
連合軍発令A)労務(L.R)調達要求書B)役務(P.D)調達要求書C)連合国軍兵士・将校らおよび将校の家族による直接雇用=ポケットマネー
雇用種別直傭労務者(L.R労務者)間接雇傭労務者(P.D労務者)
雇用形態常傭・日雇い常傭・日雇い
雇用・
被雇用関係
政府→北海道へ委任,直接雇傭(札幌・真駒内両渉外労務管理事務所取扱い)→個人政府(特別調達庁札幌調達局)→請負業者が雇傭→個人
職種①事務系(顧問・通訳・翻訳・管理人・事務員・タイピスト・交換手・看護婦など)
②技能工系(大工・荷役・雑役・運転手・特殊警備員・パン工・マッサージなど)
③家族宿舎要員(管理人・ハウスキーパー・メード・ボーイ・洗濯夫婦・コックなど)
モータープール・売店・裁縫・自動車運行維持修理工場,設計その他技術者提供。
 
昭和24年5月31日付けで100人がL.Rに一斉切り替えとなる
権限GHQ/SCAPあるいは第8軍の指示により特別調達庁が職種の設定・改廃を行う。労務要求書に基づくもので地方庁に権限はない。
福利厚生藻岩下独身寮,家族寮4寮(計920人),第161病院労務者休憩所。24年4月以降健康保険・厚生年金適応。
財源終戦処理費,占領経費から支出。朝鮮戦争への労務提供に対し米国が日本へドルで支払う。26年7月以降,日米労務基本契約締結により米国が占領経費の一部を負担。
GHQ日本占領史3 物資と労務の調達』,『占領軍調達史 役務』,『占領軍調達史 占領軍調達の基調』,『昭和24年度より35年渉外労務管理業務概要綴』ほかより作成。
1.L.R=Labor Requisition, P.D=Procurement Demand.

 道内の直傭労務者数は、部隊の移動など進駐軍の都合により五一二三人(昭22・12)、五四二四人(昭23・12)、四七八七人(昭24・12)、四七一七人(昭25・12)と変動したが、朝鮮戦争に伴う二十六年五月には常傭六八二三人・日傭八四一人(計七六六四人)と最大の雇用数となった。そのうち七~八割を札幌事務所・真駒内基地が占めていた(昭和24年度より35年渉外労務管理業務概要綴)。朝鮮戦争時の合衆国軍への労務提供については米国が経費を一部負担したが、翌二十七年四月二十七日のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約発効前日まで、占領経費の労務調達へ政府支払いが続いた。四月二十八日以降は安保条約に基づく駐留軍労働者および施設と基地区域の提供が求められ、真駒内をはじめ千歳ほか道内でも継続されることになった。