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進駐軍犯罪

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 市民は米軍の進駐を恐れ、さまざまな噂が飛び交うなかで進駐の日を迎えた。最初は心配されたほど日本人との摩擦は多くはなかったが、十一月に入ると米軍の軍規がみだれはじめ、次第に犯罪が増加してきた。二十三年に市内で発生した犯罪は、被害者一六五人、加害者二六七人に達した(札幌中央署沿革誌)。その内訳は、表14のようであった。新聞は犯人を米兵と書けず、「恐怖におののく札幌市民」「十二、三文のクツ跡」と報じた(写真5)。殺人事件の発生した豊平川堤防は、不良米兵の現れる場所として、夜になると人通りが絶えた。一方、日本人の米軍に対する犯罪はほとんどが窃盗行為で、二十年十二月十九日、市内でMP殺害事件が発生したが、これは不良少年の行為で、反米意識にもとづくものではなかった(道政風雲録 戦後十年)。
表-14 初期進駐軍犯罪件数(昭20.10.5~30)

地域

種別
札幌小樽その他全道
件数人員件数人員件数人員件数人員
強姦2222
物品強取11131414222729
金銭強取2222
諸車強取2222
武器剥奪1111
住居侵入1111
無銭飲食1212
飲食代のドル金支払1111
婦女追尾1111
交通事故2222
強姦未遂1111
合計14172525224144
『長官事務引継書』(昭20.10)より作成。
その他は函館・旭川・網走を指す。


写真-5 米兵犯罪を報じた新聞『北海日日新聞』(昭22.11.7)

 進駐軍による検閲は子供の手紙にまでおよび、なかには市民にスパイを強要する事件も起こった。各団体で指導的な地位にあった人々のなかにも、前述の金興坤のように、元商工会議所に陣取るCIC(米陸軍防諜情報部)からスパイになることを強要された人が多数あり、拒絶すると、身に覚えのない罪を押しつけられた。特に朝鮮人に対するスパイ強要がはなはだしかった(人間雑誌7)。北大の女子学生もCICを名乗る不可解な人物に脅迫されたりした(北大百年史 通説、北海道大学新聞 三七八号)。CICに情報を売って生活する者も現れた。ある社会党幹部のCIC出入りは有名であった。共産党は、最初、戦争犯罪者の情報提供者としてCICから歓迎されたが、占領政策の転換により逆に調査対象に転じた(北海道米軍太平記)。共産党の事務所には、文書だけを盗む盗賊が、頻繁に侵入するようになり(道新 昭22・2・5)、米軍の諜報機関の行為ではないかと疑われた。