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インフレと賃上げ争議の激化

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 二・一ゼネストと別に、退職金制度や給料倍額支給要求などで二月一日からストライキに入った日本ゴム労組札幌支部(三六〇人)が、二十一日から一カ月に及ぶ生産管理を決行したが、二十二年四月における札幌市の家庭生計費に占める賃金収入の割合は、依然として六九パーセントにしか達しない状況であった(道新 昭22・6・15)。激しいインフレはその後も止まることなく、札幌市の一般消費財物価指数も、二十三年一月には二十一年一月対比で実に五・三倍、二十四年一月には六・五倍となった(六章一節参照)。
 民間大手組合や官公労の賃上げ要求は、その後、全国規模の共同闘争として計画されるようになり、二十三年には官民「三月闘争」が組織され、官公労では国労札幌中央支部が二度の二四時間ストライキを決行し、十日には苗穂工機部支部も初の二四時間ストに入った(苗工労働組合史 第一巻)。全逓道連も三月十三日から第一次指定局二四時間ストを皮切りに、GHQの警告に抗して三十一日(第八次)まで道内各支部で波状ストを強行し、三月十八日、札幌逓信局と札幌鉄道郵便局では四八時間、二十四日には札幌郵便局・電話局・電信局その他で二四時間ストに入った。民間では日本発送電や北海道配電加盟の電産協が、一月三十一日全国一斉「事務管理」を指令した。道内各分会も二月七日道内一斉「ローソク送電」に入り、三月六日から逆に「明るい送電」を行うなど(道新 昭22・3・7)、札幌市内の労働争議も二十三年には二六件に増加し、主な要求内容は賃金値上げ及び臨時給与支給が占めた(表21)。