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企業整備合理化と行政整理

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 昭和二十三年四月、中山機械が組合(一九二人)に三〇人の人員整理を提示するなど、道内民間では人員整理が増加し、同年十二月のドッジプラン強行により、二十四年に入ると全道的に企業整備や行政整理に拍車がかかった(表23)。札幌でも一月、琴似の鳥居製薬札幌工場(一〇一人)が四三人の人員整理を発表し、七月には、三井木材札幌支社が道内一八事業所で一〇三二人中二六四人を解雇した(北海道労働事情 昭25)。農産品加工など多角経営を行っていた北海道開発も、春先以降一〇工場中六工場を閉鎖し、八月の札幌南工場についで組合員六人が残っていた北工場も翌年一月で閉鎖した(労働争議調整事件集録)。
表-23 昭和24年度道内の失業発生帰趨状況
区分失業発生人員就職者数失業者残数
行政整理失業13,41910,9032,516
企業整備失業25,60213,86111,741
引揚げ復員2,0251,0171,008
新規学卒者11,99310,7941,199
潜在失業顕在化133,10991,10142,000
186,545127,53959,006
北海道失業対策本部『失業対策年報』昭和24年度版(昭25年3月末現在)による。
内訳と計が合わないが,資料のままとした。

 官公関係では、公社・公団等整理についで二十四年七月、政府の「行政機構刷新および人員整理」(定員三割削減、国鉄二割)方針に基づき国鉄が大量の解雇通告を断行した。闘争方針をめぐる対立で組合内部が複雑化する中で、道内全体で九九一六人、札幌管理部でも苗穂工機部三八七人・本局二二一人など二一〇二人が希望退職や指名解雇により解職となった。また二省に分割された郵政・電通関係でも、八月に道内全体で郵政九五〇人・電通三五〇人に解雇通告が行われ、組合内部の激しい対立の中で一部に拒否者も出たが全体的には「平穏裡」に整理が終結し、多数の組合活動家が職場を追われ(資料北海道労働運動史)、翌二十五年、組合も全逓信従組と全電通労組に分立した。
 この行政整理は当初、地方については「政府は拘束力持たず」とされたが(道新 昭24・5・1)、北海道議会は道職員二五四人削減の定数条例を可決し、九月十日、組合委員長ら五六人に解雇が通告された。二〇人の執行部のうち一二人が含まれるなど、明らかに組合弱体化を図るレッドパージの一環であった。一般組合員の「〝解雇者〟には極めて冷たい空気」の中で、地労委の勧告を経て八月二日、全員が依願退職で事実上終止符をうち(全道庁十年史)、さらに同年十一月、道内で小・中・高校計二六人(うち札幌市一人)の教員が解雇された(北教組史 第二集)。札幌職業安定所管内の行政整理人員は同年末で二〇〇〇人を超え(表24)、翌年の「北大イールズ事件」や民間レッドパージに連動していった。
表-24 札幌管内行政整理者帰趨状況
区分総数
行政整理人員2,0101,608402
就職不要者数1,164965199
就職希望者数846643203
職安求職申込者37233735
職安紹介就職者38353
北海道失業対策本部『失業対策年報』昭和24年度版(昭24年12月末現在)による。