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結核アフターケア

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 結核入院患者の回復率が良くなると、市内の療養所で年間二〇〇〇人(昭33)が退院して社会復帰を志した。しかし長期療養後に回復した患者は、多くの場合療養中に失業するため、職探しと住居探し問題に直面する。アフターケアを目的に二十九年、日本で最初の北海道札幌回復後保護指導所(円山西町)が開所した。一年間で体力を強め、手職をつける職業訓練を受ける。開所以来昭和三十三年までに一六〇人が、三十三年には六〇人(男三八人・女二二人)が洋裁、ラジオ・テレビの修理、衛生技術・経理事務など六科目の技術指導を受け、そのうち九割が就職できた。三十三年、豊平町簾舞(みすまい)にある国立第二療養所(現・南病院)に入院中の患者が結成した同療養所患者同盟北海道連合会が、回復後の住居と職業共同作業所の設置を、札幌市や北海道に請願した結果(道新 昭33・5・12、6・6)、三十七年五月に、札幌市あけぼの荘(白石・結核アフターケアー)が、生活保護法による宿所提供施設として設置された(札幌市内社会福祉施設総覧 昭50)。以降も疾病が貧困を招き、貧困が疾病を生む悪循環は連続した。