二十五年度完全実施にむけて、二十四年五月六日、道教委は「新学制実施の為の学校再配置計画の基本方針」を決定し、十二月五日に「高等学校整備統合計画実施要項」を決定した。その主な内容は、①新制高等学校はなるべく総合高等学校とするが、単独の学科のみの学校の存置を認める、②二十五年度から男女共学を実施することを原則とする、③二十五年度入学生から通学区制を実施する、などであった。これをうけて道教委は二十五年一月十六日の全道高等学校長会議で具体案を発表した。民事部民間教育課のニブロ課長はこの案について次のような勧告を行った。
道教委の改革は最低(限)の改革であると思う。通学区域を設けることは教育の社会均等(ママ)の第一歩であり、男女共学はすでに各地で成功し、本道でもほとんど反対がない。また高校の統合は経済的にも絶対必要であり、小、中学校が設備不足で悩んでいるのに、高校が余剰校舎をもつことは誠にバカげた話であり、道民は中学校の建設補助が高校の十分なる統合後でないと出ないということを認識すべきである。
(道新 昭25・1・18)
しかし各地では反対運動が起こった。統合される各学校の不満や男女共学に対する不安が表れたのである。北海道教職員組合も、決定が「秘密会議で行われ、市町村民の世論を無視した非民主的なもの」(道新 昭25・1・25)だとした。さらに二月九日に開催された高等学校長会議で、先に発表した一学年のみの男女共学と通学区制を全学年に適用するとの案が出され、紛糾が広がった。
二十五年四月、いくつかの修正をへて、公立の高等学校は再編成された。現札幌市域の高等学校の動向は表5のとおりである。高校三原則の状況と照らしてみてみる。
表-5 現札幌市内の高等学校の再編成
学区制については、北海道全体を普通課程四八学区、農業課程一〇学区、水産・商業・工業各一学区に分けた。三原則で示された小学区制は、一部の地域で実施されたにすぎず、札幌市は、豊平などの周辺四町九村とともに、普通課程の一学区に当てはめられた(広報 昭25・2・1)。ただし市内の普通課程をもつ四つの高等学校は、総合考査制を採用して、「市全体として合格者を出してから各生徒の住所によつて」(道新 昭25・1・21)分配するという案が採用された。普通課程だけの小学区制ということができるかもしれない。また上述したように、学区制は在学生にも適用されたため、居住地に近い高校に移籍する者も多数でた。各高校ではお別れ会を開催している。
総合制は、一つの高校に様々な課程を置くものである。しかしこれも一部の学校で行われたに過ぎず、札幌市では伏見高等学校に工業科と商業科がおかれただけであった。「最小限にとどめた」(北海道教育行政概要 昭24)と道教委が自ら認めている。また定時制については普通課程が西高・南高・星園高などに、実業系の課程が伏見・星園・創成工業・創成商業などに置かれた。通信制については南高に通信教育部がおかれた。旧制中学校・高等女学校と実業系の学校の統合は行われず、前身校にしたがった従来の形が継続したのである。
男女共学は、学校の統廃合問題とともに父母を巻き込んだ反対運動が起こった。「風紀が乱れる」「学校の施設が十分でない」といった理由である。また校長人事や予算編成の問題もからまり、二十五年度の授業は四月十五日からとなり、在学生の男女共学は一月遅れとなった。その後も『道新』には、「男女共学はやくも半月 手がつかぬ上級生 一年生は和気あいあい」(昭25・5・2夕)、「その後の男女共学 選択科目はバラバラ 女生徒がやや積極的」(昭25・5・26)といった記事が続々掲載されている。注目の大きさがわかるであろう。「市内の中・高校生を不良化から守るためその校外活動を指導」するため、札幌市学校教護協会が設置され、男女生徒の交際についての「べからず九ヶ条」も制定されたが(道新 昭25・9・15)、徐々に男女共学は当たり前のこととなっていった。
高校三原則は、全国的にみて日本が独立すると、男女共学をのぞきほとんど有名無実化していく。その認識が不十分であったこととともに、「占領期の特殊事情である」との認識があったという面も非常に大きい。その中で、全日制の普通課程のみではあるが、北海道は京都府に続いて長く小学区制が維持されたという点に大きな特徴をもつ。