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北海道教育委員会の設置

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 教育委員会とは、公選委員と議会選出委員から成る合議制の執行機関であり、地方公共団体の独立した一機関である。GHQはアメリカ流のこの制度を、教育行政の地方分権化や自主性・民主制を目指すものとして積極的に勧奨した。文部省は実状に合わないとして反対したが、教育委員会法は昭和二十三年七月十五日に公布された。第一回教育委員会選挙は同年十月五日に、都道府県、五大都市および自主的に選挙を求めた四六市町村で行われた。北海道では、自主的に選挙を行う市町村はなかった。
 選挙にあたっては、軍政部は教育委員会の重要性と立候補者の資質について、様々な啓発活動を行った。講演会や討論会のほか、マスメディアが積極的に活用された。軍政部は、アメリカ陸軍から貸与された映写機三台とCIE映画十数本を道社会教育課に貸与した。シモンズ民間情報教育課長は、「中庸公正な教養人を選ぶべき」という声明を発表している(道新 昭23・8・24)。また、教員組合出身者の立候補への干渉も行った。その理由はアメリカの行政委員会にみられるチェック・アンド・バランス理論に基づいていた。委員会の意志決定機能は「素人」である地域住民がもち、行政執行機能は教員の意志を反映した形で事務局がもつことによって、双方の均衡を保とうという理論である。しかし教員組合は、行政執行機能を担う教育長及び事務局に旧来の官僚的な性格が残っているとして、委員会を通じて執行部門に参加しようとしたのである(阿部彰 前掲書)。
 軍政部の批判にもかかわらず、立候補者一八人中一五人は教員組合やPTA、政党などの推薦団体を持っていた。結果も当選者六人のうち、教員組合推薦者が三人であった。選挙前に高い棄権率が憂慮され、投票率は北海道では四三・二パーセント、札幌市では三八・五パーセントにとどまった(写真4)。全国平均の五六・九パーセントを大きく下回っている。委員会は四年委員三人と二年委員三人と議会側選出委員一人の七人で構成された。北海道の第二回教育委員会選挙は二年委員交替のため二十五年十一月十日に行われた。

写真-4 「低調な教育委員会選挙」を伝える新聞記事(道新 昭27.10.6)