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教職員組合の成立と活動

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 昭和二十年十月十一日、GHQは、労働組合結成の奨励を含む、いわゆる五大改革指令を発した。これをうけて労働組合が日本全国で結成され、労働運動が急激に高揚していった。北海道の教員組合の結成は、札幌を中心に始まった。二十一年一月十四日、西創成国民学校教員組合が結成された。この動きは幌西国民学校や幌南国民学校の教師もふくめて、市全体の組合結成へ進んだ。同年二月十四日には、札幌市教員組合が結成され、同年三月一日には北海道教員組合が発足した(北海道教職員組合 組合史 第一集)。二十二年七月十一日には臨時大会が開催され、北海道大学職員組合も参加した。これをうけて組合の名称を北海道教職員組合(北教組)とし、以後その名称を用いた。北教組は全国的な組合活動の中でもリーダー的な役割を担い、二十二年六月八日に結成された日本教職員組合では、北教組出身の横路節雄が副委員長に選出された。
 当時の教員組合の活動の主たる目的は、生活防衛、地位の向上、給与等の改善であり、そのために自ら立ち上がったものであった。二十二年一月三十一日のマッカーサーによる二・一ゼネスト中止命令や、二十三年七月三十一日の政令二〇一号による公務員の団体交渉権・罷免権の否認、さらに二十四年一月十七日の教育公務員特例法の公布など、教職員の労働運動に対する法的規制が進む中で、北教組の活動は活発になっていった。二十三年度には「生活危機突破資金獲得闘争」、二十四年度には「教育防衛定員定額闘争」、二十六年度には「級別推定表改訂に対する闘争」、三十年度には「定員増と昇給・昇格交渉」などの活動を行った。一方、北教組は教育内容改善のための活動も行った。二十六年十月には全道教育研究大会を開催し、これは全国教育研究大会につながった。