「道徳の時間」特設も、行政と組合で対立した問題である。昭和三十三年三月、新しい学習指導要領が発表されたが、その特色の一つは「道徳」という領域の設定とそれに伴う「道徳の時間」の特設であった。二十五年以降新教育に対して「しつけがなっていない」という批判も多かった。天野貞祐文相による修身科復活や国民実践要領の提案などはその表れである。二十六年には文部省が「道徳教育実施の手引き要綱」を発表しており、道徳重視の考えはすでに打ち出されていた。
市教委は、三十三年五月に道徳教育研究委員会を設置した。委員会では札幌市道徳教育要綱を策定し、三十四年三月二十一日に発表した。その特色は、「①教師たちの手で作り上げたこと、②人間尊重の精神を軸に前向きの道徳教育であること、③学校教育の全領域で指導するよう強調されていること、④徳目主義を排したこと」(道新 昭34・3・12)である。とくに問題となったのは③の点であり、文部省が週一時間「道徳の時間」を設けるとしていたのに対し、「時間特設は規制しない。また名称を〝道徳〟と呼ぶかどうかや、その実施計画案については各学校の自主性にまかす」(道新 昭34・4・10)ことになった。市教委が大幅に譲歩した形のものであり、このような道徳教育の方式は「札幌方式」と呼ばれた。同年十二月には札幌市道徳教育手引き書作成委員会が発足し、翌年三月二十一日に「道徳教育の手引き書」が完成した。三十六年からは、小学校に「従来の学級会活動および道徳指導をする時間」として「生活の時間」が新設された(札幌市の教育課程―小学校編 昭36)。また中学校においては、週二時間のロングホームルームの中で道徳指導を行うようにした。
市教委は、三十九年度から「道徳の時間」を週に一時間おくことを決定した。北教組は、文部省が同年三月に作成した「道徳の指導資料」を支部単位で一括して回収する運動を行い、批判書を作成し、十一月二十四日から「粉砕旬間」を設定して「道徳の時間」設置に反対した。