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戦後の文学状況

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 戦前期には治安維持法などによって思想、表現も統制され、文学活動も冬の時代であったが、戦後は自由が保障されたこともあって、文学活動は一挙に盛んとなっていった。特に北海道には疎開者、引揚者の中に優れた人材もおり、全道的に活況を呈していた。中でも札幌は空襲を受けず、印刷所が機能し、印刷用紙にも恵まれていたので、東京の出版社が数多く移ってきており、それにともない文学者の疎開、移住もみられていた。これらのこともあって昭和二十年(一九四五)から二十四年にかけては、札幌は空前の出版ブームを迎え、文芸出版物や文芸誌の刊行が相次いでいた。
 百田宗治伊藤整武田泰淳などの「疎開作家」も活躍し、彼らの影響によって市民の文学活動がリードされる面も多かった。
 疎開作家や出版社が引き揚げた二十四年以降は、主に経済的理由から同人誌の休刊や遅刊が続出し、文学界は一時低迷した感があった。しかしその一方で、この間は新制大学の設置や北大法文学部(昭和二十二年設置)から文学部が独立(同二十六年)するなど、文科系の大学が増えたこともあり、文学研究の意欲が従来にないほど高まった時期でもあった。
 東京札幌間に飛行機が飛ぶようになると文化人の来道も増え、文学界も活気を取り戻し始めた。戦後は労働組合などの組織の機関誌、職場雑誌等多様な雑誌の形態がみられたことが特色で(北海道文学大事典)、三十年代、北海道は全国有数の「同人雑誌全盛時代」を迎えていた。