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『札幌文学』登場

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 同人誌はその後『限界』が昭和二十三年九月に創刊され、翌年十二月まで一一冊を刊行した。道立図書館内北海道新人文学会が発行し、当時北大の学生であった和田謹吾が三木愿の筆名で創作「東北」(四号)を発表している。満一周年を記念した懸賞小説の佳作三編に鷲巣繁男、冬木一(工藤欣弥)の名がある。二十四年十二月には月寒文芸クラブ発行の『月寒文芸』がガリ版刷りの創刊号を出した。『札幌文学』が創刊されたのは二十五年一月である。編集兼発行人は西田喜代司で二十七年二月に九号を出したところで西田が病に倒れ一時休刊となった。その時点での同人は四〇人で、木村不二男林良応原田太朗橋崎政真崎晋吾八重樫実吉田十四雄中沢茂澤田誠一などが創作を発表した。二十七年十二月には澤田誠一が発行責任者になって再刊され、その後発行責任者は梅田昌志郎山田昭夫小野規矩夫小田基小松茂田中和夫と引き継がれ今日に至っている。『札幌文学』を足場に中央文壇に進出した者も多く、木野工上西晴治刺賀秀子小檜山博などを世に出した。同人には阿部保猪俣庄八高橋揆一郎原田康子寺田京子なども名を残している。『札幌文学』の登場はそれまでの同人誌が中央の著名人に原稿を依頼していたかたちから、北海道出身者が中心になったところに特徴がある。その影響は二十五年五月創刊の『裸人群』(全二冊)、同年六月創刊の『北海道文学』(全三冊)、二十六年九月創刊の『青銅文学』(四十二年一月まで二七冊)などが刊行されたことにあらわれている。

写真-2 『札幌文学