昭和五年創刊の「新墾」は、十九年二月に当局の指示によって歌誌統合による休刊を余儀なくされた。二十一年一月、小樽の小田観螢主宰のもとに復刊した。新墾発行所の札幌移転は二十八年八月で、これ以後委員制による発行となった。編集委員は村田豊雄、宮崎芳男、吉川たき子、鍋山隆明、山名康郎、中平一馬、後藤寿雄、中田弘、太田紅二、伊藤静人らで、あとで宮田益子、五十嵐木実が加わった。このうち山名、宮田、中田、五十嵐、吉川らは「凍土」短歌会を結成し委員を退任し、二十九年三月、『凍土』を創刊した。歌壇結社を重圧と感じ制約を離れた場所で創作していこうとする若手グループに呼応して円山絹子、石井愛子、矢島京子、落合四郎、本田錦一郎、中城ふみ子、松川愛子、大久保興子、宮田千恵、飯田安子らが加わった。