期成会の主な活動は美術館の建設費を広く道民に募ることで、期成会へは年に一口三〇〇円で誰でも入会することができた。また会員の募集を行う一方、資金募集のために道内在住の作家に呼びかけて小品展を開催した(道新 昭36・9・19)。
期成会発足後は、美術館建設へ向けての運動が活発となった。道展と全道展は合同展を開催し、その収益金を建設基金として期成会事務局に寄付した(道新 昭36・12・14)。北海道新聞社はピカソ展を主催し、やはり収益金を美術館建設基金として期成会へ寄贈している(道新 昭37・2・28)。
三十七年三月、道学芸大学の札幌、旭川、岩見沢など五分校の芸術学科の学生によって道美術館建設歎願学生の会が結成された(毎日 昭37・3・15)。この学芸大学の学生が中心となり、同月「一〇円玉運動」が開始された。これは「道民の心のいこいの場となる美術館をわれわれ自身の手で建設しよう」というもので、道民一人一人から一〇円玉一つずつを寄付してもらうとともに署名を集めて、美術館建設への世論を高めようという狙いがあった(読売 昭37・3・15)。この主旨に賛同した札幌市内のデパートや書店の従業員が寄付を行ったほか、空知の高校の生徒会でも寄付に応じる生徒が現れた。また東京でも、北海道出身学生会が中心となって各方面に呼びかけを始めるなど、運動は道内に止まらなかった(毎日 昭37・3・15)。道美術館建設歎願学生の会は五月三日には街頭募金を行い、これまでの募金四万円と合わせて期成会へ贈られることとなった(道新 昭37・5・4)。この後も、札幌刑務所職員からの寄付や北日本自動車学園の募金、学芸大学生の署名運動等さまざまな美術館建設支援活動が展開された。