ビューア該当ページ

ラジオからテレビへ

918 ~ 920 / 1021ページ
 北海道放送は昭和二十八年一月、HBCテレビの開設を郵政当局に申請した。翌二十九年五月にはTV実験局免許を申請、七月に免許証を受けて実験放送を行ったのち、三十二年四月一日に本放送の運びとなった。前年、一足早くNHK札幌テレビ放送を開始した時点では、道内のテレビ受像機登録台数は一五三八台であった。北海道放送テレビが民放五番目のテレビ局として開局した時、台数は五八九〇台と、飛躍的に増加した。この勢いは止まることを知らず、三十二年末までに全道世帯数の五パーセントを占める五万五三三九台に達した(札幌テレビ放送二十年史)。
 こうした中、道内に「第二の民放を」という要求が高まったこともあり、三十二年四月までに北海道テレビジョン、テレビ北海道、日本テレビ放送網、札幌テレビの四つのテレビ局開局申請書が、北海道地区から郵政大臣宛てに提出された。同年十月七日、郵政省は各地区の免許申請代表を招いて免許方針を示し、善処を要望、「競願」全社にわたって合併方式をとるよう指示した。札幌地区の四社の場合、札幌テレビ放送株式会社に対して以下の条件が満たされた時に予備免許を与えるというものであった。
 準教育放送局の申請とすること。
 札幌テレビ放送株式会社は、(一)株式会社テレビ北海道、(二)北海道テレビジョン放送株式会社、(三)日本テレビ放送網株式会社と資本構成比五、三、一、一の割合で合体すること。
 その他

(札幌テレビ放送二十年史)


 三十二年十月二十二日、郵政大臣から予備免許が下付され、十一月四日には申請四社の発起人代表が集まって初の合同会議を開いた。翌三十三年三月三十一日、創立総会が開かれ、取締役一四人、監査役三人が選任された。
 三十三年四月八日に会社創立の登記がなされ、三十四年四月一日、札幌テレビ(STV)は開局した。開局当日のプログラムは表4のとおりである。この時社長である菊地吉治郎は全道民に向けて「道民のみなさまの文化生活向上のために極力貢献していくことが、当社札幌テレビに課せられた第一の使命であり、この使命達成のために、わたくしどもは鋭意努力してまいる所存であります」と挨拶している。
表-4 STV 開局プログラム
10:00テストパターン
20邦舞操三番
45札幌テレビ誕生(社長挨拶)
11:00春の曙(雪村いづみ・島倉千代子)
12:00日本テレニュース
天気予報
15お昼の演芸
40婦人ニュース
55TVガイド
13:00お料理メモ
15文化映画「世界の旅」
45春スキーの歓び
14:00プロ野球 国鉄-大毎
16:15マンガ映画
30民謡お国めぐり(花柳徳兵衛ほか)
17:40お知らせ
45STVニュース
50タイムス・ニュース・フラッシュ
55天気予報
18:00轟先生
10TVガイド
15遊星王子
45STVニュース・フラッシュ
55国際ニュース
19:30歌はあなたと共に
20:00ヤシカ・ゴールデン劇場
21:00今日の出来事
10スポーツニュース
15坊ちゃんシリーズ
45ニッケ・ジャズ・パレード
22:00夜のプリズム
30STVニュース
35タイムス・ニュース・フラッシュ
45お知らせ 天気予報
『札幌テレビ放送二十年史』より。

 札幌テレビは、プロ野球の中継を看板番組としたほか、映画、ミュージカル、コメディ、歌謡ショーと、多彩な番組を編成した。三十六年十月からは、ローカル自主編成に乗り出し、独立プロダクションより長編劇映画の放映権を獲得すると、これを「STV名作劇場」として放送した。中継番組としては、三十四年六月、札幌市内の各所から北海道の史蹟と歴史を題材に社会科特番として「テレビ風土記」が製作されたほか、八月には「北国の夏」「アイヌ文化」など、全国向けの製作番組も作られた。
 このように、札幌にはNHK、北海道放送(HBC)、札幌テレビ(STV)と、三つのテレビ局が誕生し、それぞれ異なった番組が見られることもあって、テレビの需要は増加の一途をたどった。とくに、三十四年四月に「皇太子ご成婚祝賀行事」がテレビ中継されたことは、人々にテレビの威力を認識させ、以後全国的にテレビの普及率が高まった。NHK札幌テレビ放送を開始した翌年の三十二年、札幌中央局管内(札幌市、江別市、千歳市、石狩支庁)のテレビの契約者数は六〇三四人、普及率は四・七パーセントであったものが、三十五年には契約者数は六万一一一〇人、普及率は四七・四パーセントとなり、これに対してラジオは減少していった。