昭和三十七年七月十日の閣議で「第二期北海道開発八カ年計画」が決定し、その中で社会教育の振興が掲げられた。「社会生活の基盤の整備」が重視されたもので、四十五年度までに博物館、美術館の設置を実現しようというものであった(道新 昭37・7・11)。これに先立ち道教委は、六月に社会教育施設設置審議会を発足させ、道、開発庁に対して博物館や美術館の設置を強く要求していくこととなった(本章第三節参照)。
道教委の中で文化行政を担当してきたのは主に社会教育課の文化財係であったが、「変ぼうする社会情勢の中での、精神文化の重要性に対処して」、四十二年、社会教育課に文化振興係を設置した(本道における芸術文化行政の現状と課題)。ここで、四十三年五月一日に北海道文化振興方針が決定され、道教委主催のもと地方文化振興会議が毎年開催されるようになった。
この文化振興方針は「たくましく切り開かれた百年のふるさとに、美しい精神文化の花を咲かせ、ひとりひとりのくらしをさらにうるおすとともに、いっそう豊かな北海道の未来を創造する」ことをねらいとしていた。具体的には(一)北海道第二世紀と精神文化の高度開発、(二)総合開発と芸術文化の振興、(三)道民の生活文化の向上、(四)創造的な道民像への志向等が指針として掲げられた。
こうした指針に基づいて、さまざまな文化振興事業が計画された。四十四年度の事業計画を例に見てみると、北海道地方文化振興協議会、北海道文化講演会、北海道芸術文化振興会議、日展、北斎展の開催、北海道芸術劇場(邦楽・邦舞公演)、北海道郷土芸術祭の開催、北海道合唱指導者講習会等が予定されている(昭和四十四年度 北海道芸術文化振興会議・資料)。