昭和二十年(一九四五)八月十五日、昭和天皇の「終戦」詔勅放送によって長い戦争の時代が終わった。十六日の札幌神社の日誌は「昨日の停戦発表により朝来参拝者相当にあり、深更に及ぶも止まず」と記し、翌十七日も参拝する市民の姿が多く見られたという(北海道神宮史 下巻。以下神宮史と略記)。これらの参拝者は、祖国降伏という事態にいかに対処し、何をなすべきかとの思いを皇祖の神々に問わんとしたのである。札幌神社では一カ月後の九月十七日に戦争終熄奉告祭が執行され、北海道庁長官熊谷憲一が勅使として参向した。十月十一日には、進駐軍神社参拝にさいして不敬行為がないよう道庁祭務官、神社、大日本神祇会北海道支部で協議がなされた。十一月に入ると、十五日に道会開会奉告祭を行い、二十三日には幣帛供進使(へいはくきょうしんし)が参向して新嘗祭が執行されるが、この頃すでに、占領軍による国家神道解体のプログラムは進行していた。
連合国総司令部は、ポツダム宣言の「言論、宗教、思想の自由の確立」をふまえ、十月四日に「政治的、社会的及宗教的自由ニ対スル制限除去ノ件」を指令(通称「人権指令」)し、政治的、社会的、宗教的自由を制限していた法令の適用を停止させた。さらに、十二月十五日には「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ビニ弘布ノ廃止ニ関スル件」、いわゆる「神道指令」を発した。その目的は、「神道ノ教理並ビニ信仰ヲ歪曲シテ日本国民ヲ欺キ侵略戦争ヘ誘導スル為ニ意図サレタ軍国主義的並ビニ過激ナル国家主義的宣伝ニ利用スルガ如キコトノ再ビ起ルコトヲ防止スル為」に、国家と神社神道を徹底的に分離することにあった。
国家神道を廃止するための具体的措置は詳細多岐にわたり、神社神道に対する国家や官公吏の保護監督の禁止、神社及び神道に対する公的財政援助の禁止、神祇院の廃止、一般公立学校における神道的教育の禁止、学校・役場など公機関からの神棚など神道的施設の除去、官公吏・一般国民が神道的行事に参加しない自由、官公吏の資格での神社参拝の禁止、公文書での「大東亜戦争」、「八紘一宇」の用語の使用禁止などが規定されている。加えて、神道的色彩をもつ「祭式、慣例、儀礼、礼式、信仰、教ヘ、神話、伝説、哲学、神社、物的象徴」をも除去するように命じていた。
そのうえで、今後のありかたについては「神社神道ガ国家カラ分離セラレ、ソノ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的要素ヲ剝奪セラレタル後ハ、若シソノ信奉者ガ望ム場合ニハ一宗教トシテ認メラレルデアロウ、而シテソレガ事実日本人個人ノ宗教ナリ、或イハ哲学ナリデアル限リニ於テ、他ノ宗教同様ノ保護ヲ許容サレルデアロウ」とした。