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宗教法人令による神社

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 神社神道が国家の管理を離れて「一宗教」として再生する道筋はしめされたものの、この時点では神社の存立する根拠は明らかではなかった。すなわち、人権指令によって宗教団体法が廃止され、それにかわる宗教法人令(昭和二十年十二月二十八日に公布、施行)が神社を含んでいなかったため、神社の法的な位置づけは翌年二月二日の宗教法人令の改正を待つことになった。
 神祇院解体にともなって、二十一年二月三日に、全国の神社および神社関係者を統合包括する宗教法人「神社本庁」が設立された。これを受けて二月二十六日に北海道神社庁が発足している。
 改正宗教法人令は、伊勢神宮、神社明細帳所載の官国幣社以下神社・護国神社、別格官幣社靖国神社の全国約一一万の神社を宗教法人とみなしているので、個々の神社が改めて法人設立の登記をする必要はなかった。それぞれ神社規則をつくって神社本庁の承認をうけ、これを二十一年二月二日から六カ月以内に地方長官に届けることになっていた。期間内に届け出がない場合は、解散したものとみなされた。
 北海道神社庁は、三月十六日に神社規則の作成、氏子崇敬者総代の選任、宮司の任命などについての通達を各神社に出すとともに、各支庁長、市町村長宛に、「宗教法人令発布、神社モ該勅令ニ適用ヲウクルコトト相成リ候結果、中央ニ神社ノ包括団体タル神社本庁、地方ニ地方神社庁ヲ設ケ、神社神職ニ関スル全般的事項ノ取扱ヲナスコトニ相成リ候」と、手続きが円滑に進むよう通知している(北海道神社庁誌、以下神社庁誌と略記)。その結果、札幌神社は四月二十日に神社本庁の承認を受け、三吉神社をはじめとする旧社格をもつ神社(市史第四巻 一〇六四頁表1参照)も順次、神社本庁に属する宗教法人となった。
 神社本庁は、創立にあたり、「所謂信教自由ノ原則ニ基キ、普ク人類ノ信仰ヲ贏(か)チ得ルコトニ依リ、ソノ福祉増進ニ貢献スベキモノト信ズ」と、あるべき神社の姿を表明していた(統理告諭)。
 北海道神社庁においては、八月二十六日に第一回協議員会が開催された。大坪富庁長(札幌神社宮司)は、挨拶のなかで「統理告諭」や神社本庁の機関誌『神社新報』(第一号 昭21・7・8)の説く、「氏子崇敬者国民の神社として進む」ことを強調しつつも、「神社は当然経営上にも思想信仰上にも深甚の影響を受けざるを得なくなりまして自然神社は一大転換期」にあると述べ、神社人、神道人の大同団結を訴えている。二十二年には神職総代平和大会が行われ、二十三年の神職並総代会では、神社本庁の教化課長による「神社の本質」の講演、二十四年の神職大会では、神社本庁講師による「神社神道の根本理念の研究」の講演、そして北海道民事部のモリス課長が「なぜ国家と宗教は分離しなければならないのか」という講話があるなど(神社庁誌)、国民大衆の神社として生きる道への模索がはじまった。