暗く沈んだ中で平成の時代に入った札幌であるが、マチを活気づけ彩(いろど)る明るい話題も数々あった。平成元年に始まり、二年から全市をあげて取り組むようになる教育音楽祭、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)は、市民音楽祭としても定着し愛好者を増やし、三期一五年にわたって整備が続けられた札幌芸術の森も諸施設が充実していくにしたがい、芸術文化都市としての象徴的な存在となり、イサム・ノグチのプロデュース作品でもあるモエレ沼公園は、二一世紀への夢をはぐくむ壮大な空間となっている。札幌の文化都市としての装置が数々そろってきたのが、この平成の新時代であった。
四年に大学生の一〇チーム、約一〇〇〇人でスタートしたYOSAKOIソーラン祭は、市民に感動と活力を与え、年々規模を拡大して十三年には四〇八チーム、四万一〇〇〇人が参加し、道内はもとより道外からも多数のチームが参加しており、札幌より発信される文化運動へと大きくはばたいていった。観客数も二〇〇万を突破する大イベントへ成長し、その経済効果も雪まつりに匹敵するほどになっている。
八年にプロサッカーチームのコンサドーレ札幌(四月十六日に北海道フットボールクラブが発足)が誕生し、チームを応援する市民に一体感をもたらし、日韓共同開催の二〇〇二年ワールドカップサッカー大会の札幌開催も同年十二月二十五日に決定し、九年には札幌ドームの建設に入っていった(十三年六月二日にオープン)。同年には道民の希望の翼、エア・ドゥ(北海道国際航空)が立ち上げられており(十年十二月二十日に就航)、道庁が全国から募集したキャッチコピー「試される大地」(十年九月に制定)に象徴されるように、沈滞感におおわれていた中でこれらの清新な活動が北海道を盛り立て、市民・道民へ活力を与えることになった。
札幌市は元年十一月六日に厚別区、手稲区が誕生し九区となっていたが、九年十一月四日には清田区も誕生し一〇区体制となっていた。札幌駅南口に新たな札幌のランドマークとなるJRタワーが十五年三月にオープンし、異例とも言うべき再選挙で十五年六月に、三六年ぶりに民間から選ばれた上田文雄市長も誕生していた。プロ野球の北海道日本ハムファイターズも十六年より本拠地を札幌に移しており、まだまだ続く平成の新時代のゆくえをこれからも注視して見守りたい。