平成三年市長選で桂信雄と政策協定を結び、与党となった社会党は公共料金改定問題等で姿勢を転換した。四年一月提出の交通料金改定案は、二十四日本会議で自民、社会、公明、自民クラブ、民社クラブの賛成多数で可決された。同年二月提出の使用料手数料、下水道料金、水道料金の改定案も三月三十日本会議で共産、市民ネットが反対したが、自民、社会、公明、自民クラブ、民社クラブの賛成多数で可決された(十八期小史)。
六年六月四日に北海道勤労者医療協会等一六団体により結成された「札幌国保を良くする会」は、札幌市の国保に関する条例の改正を求める直接請求を行った(道内初)。九月十四日に請求代表者証明書の交付申請を行い、十月二十七日には二〇万を超える署名を選挙管理委員会に提出、十一月三十日札幌市長に対し本請求を行った。それは政令指定都市中で最も高い国保料の引き下げ(世帯平均年間一四万円を約一二万円に)、傷病手当・出産手当の新設などを要求するものであった。桂市長は十二月二日に意見書を付して国保料改定の条例案を市議会第四回定例会に提出した。十六日に本会議で採決が行われ、社会、自民、公明、自民党市民の会、民社クラブ、市民ネットの反対で同案は否決された(十八期小史)。
この後も市議会では、使用料手数料改定(平8)、交通料金改定(平8)、下水道料金改定(平9)、水道料金改定(平9)といずれも共産党と市民ネットの反対少数で可決された。桂市政時代の市議会は、社会党が与党に転じ、野党として新たに市民ネットが現れ、自民、社会(のち民主党)、公明、民社の与党勢力と共産、市民ネットの対立という構図が生じた。