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電話の増加と通信事業の展開

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 電話架設を希望してから設置まで数年を要し、それを電電公社では積滞電話と呼んでいた。昭和五十三年には、積滞電話が解消して需給の均衡がとれるようになり、申し込みから一カ月以内に設置できる状態となった。これは、電電公社の基本的な設備投資がおおむね完了したことを意味する。札幌では、二十五、二十六年に自動電話化したときに、一桁の局番としたが、三十七年新規開局の東局から局番を二桁とした。ところが四十五年には三桁となった。その後も電話加入者は増加し、五十二年から札幌市版電話帳が上下二分冊となった。
表-7 加入電話数(年度末)と  
     引受通常郵便数(年度)
加入電話郵便数
昭47257,242147,824
 48306,308167,021
 49359,657177,717
 50398,890173,039
 51431,531162,652
 52453,008180,790
 53479,100194,265
 54507,200210,332
 55533,800217,964
 56560,000196,934
 57587,000200,345
 58617,600211,074
 59640,500217,740
 60668,200210,267
 61698,600234,898
 62735,300261,206
 63773,200291,070
平 1817,200320,405
  2861,700328,770
  3916,000334,500
  4943,000346,818
  5943,500356,530
  6965,300345,490
  7986,000361,232
  8992,100349,861
  9976,500341,140
 10919,800352,936
 11838,500343,902
 12766,800356,568
 13747,700328,327
 14763,200314,811
札幌市『札幌市統計書』(平15)

 五十三年には、札幌中心街で電話ケーブル用の地下トンネル工事がはじまり、翌年末に工事を終えた。五十五年末には、豊平川の豊平橋と一条橋の間に斜張橋のでんでん大橋が完成した。この橋は地下トンネル内の数多い電話ケーブルを、川を越えて豊平電報電話局に接続するためのものである。五十九年には札幌月寒電話交換局で道内初のデジタル交換機が始動した。その後平成九年十月には全道がデジタル化した。さらに昭和五十七年苫小牧での敷設が道内最初であったが、五十九年には津軽海峡に海底光ファイバーケーブルが敷設され、六十年には旭川から鹿児島までの日本縦断光ファイバーケーブルが完成した。札幌では光ファイバーの整備を進行中である(田村巌 ~IT時代への軌跡~北海道の電信電話年代記 平14・11)。
 これらの設備の普及とともに、さまざまなサービスが展開する。
 まず札幌ではポケットベルサービスを昭和四十六年十二月から開始し、これは札幌オリンピックの際に威力を発揮した(タイムス 昭47・2・16、48・7・7、札幌大通電話局 80年のあゆみ 昭56・11)。夕飯のメニューからドライブ情報などを得られる電話情報サービス(タイムス 昭47・9・20)、四十七年にはキャッチホンサービス開始、四十九年七月には電話ファックスサービスを、道内では初めて札幌で開始した(日経 昭48・5・23、前出80年のあゆみ)。五十六年十月から札幌などでコードレスホンの販売が開始された。五十七年十二月十五日には札幌など道央圏の国道沿いにある一四市町村で、自動車電話サービスが開始した。五十八年三月三十日札幌でファクシミリ通信網サービスを開始した(前出 年代記)。
 六十一年には携帯専用のショルダーホンの販売がはじまり、六十二年にはハンディータイプの携帯電話八〇二型の販売が開始され、携帯電話サービスが開始された。その後、携帯電話は、より小型軽量のもの、さらに平成六年にはデジタル携帯電話自動車電話サービスがはじまった。七年にはPHSと呼ばれる簡易型携帯電話サービスもはじまった。この携帯電話サービスについては、札幌に関する統計数字はないが、十四年度末全道では、PHSが約一八万件、携帯電話が約三〇九万件、総数三二七万件の加入数となっている(前出 年代記、統計書 平15)。
 昭和四十五年一月北海道電気通信局内にデータ通信部が新設され、コンピュータによるデータ通信へ一歩踏み出した。四十六年北海道銀行データ通信システムサービス、四十八年札幌での販売在庫管理データシステムサービスなどを開始した。アナログ通信からデジタル通信への変換とともに、六十三年には札幌でもISDNサービスを開始し、平成八年十二月二十五日からNTTがインターネット接続のOCNサービスを開始した。『札幌市統計書』では九年のISDN回線契約数は四万三六〇〇件であるが、五年後の十四年度末は、二〇万件を超えている。また全道のDSLサービス加入数は、初登場の十二年は四七件であったが、十四年度末には二三万六七一九件と急増している(前出年代記、日本電信電話株式会社 電話100年小史 平2・7、統計書 平15)。
 昭和六十年四月一日から電電公社は、日本電信電話株式会社(NTT)となった。これにより電子通信事業は、自由化された(道新 昭60・4・1)。平成十一年NTTの再編により、東西の地域会社とNTTコミュニケーションズに分割された。北海道は、NTT東日本の地域内に入り、北海道支社は北海道支店となり、従来の札幌支店を統合した形となった(前出年代記)。