石狩湾に新港を建設しようという構想は、起源をたどると戦前、昭和十一年に道庁技師伊藤長右衛門らによる銭函浜築港、石狩湾工業地帯計画案にまでさかのぼることができる。その後日中戦争期の北海道綜合計画において石狩港築港が盛り込まれたが、これらはいずれも実現することはなかった(石狩湾新港管理組合 石狩湾新港'82入船記念 昭57、市史第四巻)。戦後には、北海道総合開発計画の策定過程や石狩支庁、札樽経済協議会において石狩湾の新港建設が謳われ、昭和三十九年十二月に石狩開発株式会社が設立、四十一年九月には石狩湾新港建設促進期成会が創立されるなど石狩湾新港実現にむけて活発な運動が展開された。そして第三期北海道総合開発計画案に石狩湾に新規流通港湾を建設することが盛り込まれ、四十七年四月、北海道庁は石狩湾新港地域開発基本計画書を作成した(石狩湾新港管理組合 石狩湾新港'82入船記念 昭57)。
石狩湾新港地域開発基本計画書(石狩湾地域開発事務局 石狩湾新港地域開発基本計画(試案)昭47、石狩湾新港地域開発連絡協議会資料(その一)所収、文資所蔵)によると、石狩湾新港開発の意義は「本道経済の発展を支える流通加工の新たな発展基盤を創出し、かつ太平洋岸と日本海岸の均衡ある発展に積極的に寄与する」ものとされ、この地域の開発は「新たな流通加工機能とすぐれた生活環境を備えた理想的な流通・工業都市の実現をめざす」ものとされた。工業地帯の性格は「消費財等の都市型工業を主体とした」ものとされ、同時に「産業公害のない工業開発に重点をおく」こととされた。表12は、このときに計画された工業構成である。まず、出荷額合計の四〇六二億円という数字は、同年(四十七年)の札幌市の工業出荷額の約一・五倍にあたる。ただし、石狩湾新港地域開発基本計画書が想定した完成年の昭和六十年には、計画時以降の物価上昇のため札幌の出荷額はこれを上回ってはいるものの、壮大な計画であったといえるだろう。業種別内訳は、金属、家具、一般機械、食料品、木材の順に多く、食料品の比率の低さ、出版・印刷のないことを除くと札幌の業種構成に類似している。戦後初期の北海道総合開発計画が、札樽地域を重化学工業地帯とすることを謳っていたのに比べると、重化学工業信仰は薄れ、この面からは身の丈にあった工業構想といってよいだろう。
表-12 石狩湾新港工業団地構想 |
業種 | 出荷額見込 (百万円) | 比率 (%) | 用地面積 (千平方メートル) | 従業者数 (人) |
食料品 | 41,946 | 10.3 | 755 | 1,990 |
木材 | 41,865 | 10.3 | 1,758 | 3,521 |
家具 | 78,460 | 19.3 | 1,805 | 8,711 |
紙・パルプ | 13,550 | 3.3 | 447 | 501 |
窯業 | 20,560 | 5.1 | 1,234 | 1,327 |
鉄鋼 | 10,095 | 2.5 | 232 | 251 |
金属 | 87,406 | 21.5 | 1,661 | 6,221 |
一般機械 | 56,852 | 14.0 | 1,508 | 7,724 |
電気機械 | 3,068 | 0.8 | ||
輸送用機械 | 34,322 | 8.4 | ||
その他 | 18,083 | 4.5 | 1,145 | 1,823 |
合計 | 406,207 | 100.0 | 10,543 | 32,069 |
「石狩湾新港地域開発基本計画(試案)」昭47(『石狩湾新港地域開発連絡協議会資料(その1)』所収)文化資料室所蔵 |