製菓業界に目を向けると、まず老舗企業の古谷製菓が昭和五十九年五月一日、二回目の不渡手形を出し事実上倒産した。倒産時の商品構成は、キャラメル三四パーセント、ビスケット二三パーセント、ガム二一パーセント、チョコレート六パーセントであったが、これら伝統的な菓子の需要が減退するなかヒット商品が出ずに倒産に至った(道新 昭59・5・2)。本社、工場敷地はサッポロビールに売却された(道新 昭60・8・27)。
製菓部門で急成長する企業もあらわれた。石屋製菓は創業は三十四年と古いが、五十一年にヒット商品「白い恋人」が成功し一躍有名になった。当時、チョコレート菓子といえば菓子の回りをチョコレートで包んだものばかりで手が汚れるという難点があった。発想を逆にしてチョコレートをクッキー生地ではさんだ新製品がヒットしたのである。石屋製菓は平成四年に完成した新本社(西区宮の沢)にイシヤ・チョコレートファクトリーを併設し、七年六月にオープンした(石屋製菓 石屋製菓50周年記念誌 平10)。昭和五十八年設立のロイズコンフェクトは、平成八年に生チョコレートの通年販売に乗り出し「ロイズの生チョコ」として一躍有名になる。十一年には当別町に新工場を建設し、それまで分散していた工場、物流拠点を集約した(日本経済新聞社 北海道の躍進企業―新世紀を担う100社― 平12)。菓子メーカーとしては老舗の三八(さんぱち)は、二年五月から新店舗「菓か舎」で時をテーマとした菓子を売り出し、特に「サッポロタイムズスクエア」がヒットし復興をとげている(道新 平2・10・20)。同じく老舗の千秋庵製菓は六年に厚別区に主力工場と文化施設を兼ねたお菓子の宮殿をオープンした。無借金方針を貫き、総工費約三〇億円のお菓子の宮殿も、自己資金を投じて完成まで一九年もかけたという(道新 平7・6・22)。また、ユニークな活動として、昭和六十二年全国初の企業内短大である労働省所管の千秋庵製菓短期大学校を開校し、製菓技術・知識の教育にあたっている(日本経済新聞社 北海道の中堅170社 平3)。