平成金融恐慌・平成不況の中で金融再編、いわゆる合従連衡が大きく進んだ。この間の様子の一端を札幌手形交換所加盟銀行の推移によってみることにしよう。この間、加盟数は四七から四三となったが、それは次のような金融再編などによるものであった。まず昭和六十年には徳陽相互銀行札幌支店が廃止された(徳陽相銀はその後徳陽シティ銀行となるが、平成九年十一月に破綻)。六十二年には秋田相互銀行札幌支店が出張所に降格して代理交換となり、山形銀行札幌支店が廃止された。平成元年には北洋相互銀行、北海道相互銀行が普通銀行に転換し、北洋銀行、札幌銀行となった。翌二年には、昭和四十八年に神戸銀行と太陽銀行が合併してできた太陽神戸銀行と三井銀行が合併して太陽神戸三井銀行となった。三年には協和銀行と埼玉銀行が合併して協和埼玉銀行となった。四年には、太陽神戸三井銀行、協和埼玉銀行が商号変更して、さくら銀行、あさひ銀行となった。同年、北海信用金庫が、また翌五年には石狩中央信用金庫が代理交換から直接交換になった。八年、三菱銀行と東京銀行が合併して東京三菱銀行となった。同十年、遠軽信用金庫が代理交換から直接交換となり、北海道拓殖銀行が北洋銀行に営業譲渡された。十二年、中央信託銀行と三井信託銀行が合併して中央三井信託銀行となり、日本長期信用銀行と全国信用金庫連合会(全信連)が商号変更して、新生銀行、信金中央金庫となった(札幌銀行協会の概要)。その後も地方金融機関も含めて合従連衡は続き、さらなるメガバンクの形成などがなされていくが、記述はこの辺で止めておこう。