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人材派遣業

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 人材派遣といえばビル管理や警備保障に限られていた日本に、はじめて事務部門の人材派遣を持ち込んだのは、アメリカ生まれのマンパワージャパン(本社・東京)である。その業務は、一般事務をはじめ英文タイプ、コンピュータのオペレーション、翻訳、通訳とあらゆる業務を請け負い、自社の登録スタッフを派遣して事務をこなすというサービスであった(道新 昭59・1・29)。同社は昭和四十八年に札幌に進出し、各企業がオイルショックを乗り切るために合理化を進め、OA(オフィスオートメーション)への対応を迫られるなかで業績を伸ばしていった。
 派遣スタッフにとっても、好きな職種を自由に選べるうえに休みも自由であることが利点とされ、人材派遣会社に登録する人は後を絶たなかった。五十八年には本社を札幌に持つキャプテンに加えて、パソナ、テンポラリーセンター、キャリアスタッフ、花王といった大手が進出し、市場規模は一気に拡大し、六十一年度から平成二年度にかけて、一般労働者派遣事業の売上高は約七倍にふくれ上がった(道新 平5・1・24)。
 その後も西武セゾン系のウィル(本社・東京)(道新 昭63・4・1)やテンポラリーセンターの関連会社で男性の派遣スタッフからなるテンポラリーエルダーが進出を決めるなかで(道新 平2・10・9)、地元企業のキャリアバンクは地域密着型の事業展開を進めた。
 キャリアバンクは昭和六十二年十一月に道内初の人材紹介会社として設立し、U・Iターンなどの転職希望者や経営管理者を企業に紹介する業務からスタートしている(さっぽろ経済 平12・3)。同社は平成三年に人材派遣業務に参入し、同年五月にロサンゼルスの人材会社サーチ21と業務提携し、アメリカで働く日本人労働者のUターンを進めた(道新 平3・5・23)。また東京の薬局専門のソフトウェア会社メディカル・アイ・エフと提携して、薬剤師と薬局の経営管理者を紹介するアポスーカーバンクを設立したり(道新 平3・9・18)、十一年には再就職支援業大手のウェイステーションと業務提携し、再就職希望者の受け入れ施設ウェイ・ステーション(北一西二)を開設して、カウンセリングやセミナー、訓練等を実施した(道新 平11・7・16)。十二年十二月の札幌そごうの閉店に際しては、前月の十一月六日に従業員の再就職を支援する無料特別相談室を開設している(道新 平12・11・7)。これに先駆けて九年十二月二十四日には、キャリアバンク、パソナ、キャリア情報(本社・東京)札幌支社の三社が、相次ぐ金融破たんに対応して、札幌人材紹介事業協議会を設立し、夜間の転職相談等の無料サービスを行っている(道新 平9・12・25)。
 またキャリアバンクは十二年五月百貨店等向けの人材派遣業の北海マネキン紹介所を買収して道内での経営基盤を強化し、札幌証券取引所の新興成長企業向けの新市場アンビシャス(第五章第二節)の第一号として上場を果たした(道新 平13・3・30)。
 四年頃からの雇用環境の悪化により求人件数は減り、派遣社員との契約に応じない企業が増加するとともに、労働組合に持ち込まれる派遣労働者からの苦情や相談もまた増えた(道新 平5・1・24)。
 しかしバブル崩壊後は景気が緩やかに回復するのにともない仕事量も増大し、人材派遣業界は低迷から抜け出し、その後も増加、十年度の派遣労働者数は昭和六十一年の労働者派遣法施行以来、最多を記録した(道新 平12・2・19)。ただし、その背景にはバブル崩壊後にリストラを進めてきた企業が、正社員の採用を手控える代わりに仕事量の増加を派遣社員で切り抜けようとする事情があり(道新 平8・5・2)、企業が正社員の採用に慎重である状況はその後も続いている。