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北海タイムス社の経営危機

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 北海道新聞社とならんで全道を網羅する地元紙の北海タイムス社でもまた、昭和五十九年七月一日大型コンピュータを導入し、平成元年にカラーオフセット輪転機を増設するなど設備の拡充を図った。しかし昭和三十四年の読売・毎日・朝日新聞の東京三紙の北海道への進出以来、新聞業界の過当競争は激化し、これがおもな契機となって同社は赤字経営に追い込まれていく。
 四十七年の臨時株主総会では、大通西四丁目の札幌本社敷地を売却して負債を整理することが可決され、四十九年九月二十三日に南一条西一〇丁目の新社屋に移転した。新社屋のタイムスビルは地下一階・地上八階建てであったが、地下一階から地上四階までを自社使用とし、五階以上を貸ビルとした(北海タイムス三十五年史 昭56)。
 五十六年には支社局網は全盛時の半分の二六カ所にまで縮小され、翌五十七年二月一日には夕刊の廃止に踏み切っている。同社は五十八年六月八日オーナー(社主)の支援金による経営再建を目指す「オーナー経営体制」に移行し、翌五十九年三月二十七日に拡大政策の下で札幌と旭川で夕刊を復活したものの、平成六年八月一日には再び夕刊の廃止を余儀なくされた(星野一風 資本の論理 メディアの倫理 平12)。