国内の移動体通信の商用サービスのはじまりは昭和二十八年の船舶電話であり、三十二年には列車にも電話サービスが導入された。これに次いで開発されたのがポケットベル(昭43)であった(NTTドコモ10年史 平14)。
四十六年九月ポケットベル(以下ポケベルと略)事業を目的とした北海道通信サービス会社が設立され、同十二月に営業を開始した。ポケベルは郵政省令上の正式名は無線呼出しといい、用件が発生した場合にベルで通報するものである。当初は無線系の電気通信事業は日本電電公社が独占していたことから電波の発射は同社が行い、ベルや充電器の調達・貸し付け・修理等を北海道通信サービス会社が行った(道新 昭46・9・10)。
日本電電公社は昭和六十年民営化により日本電信電話(株)(以下NTTと略)となり、平成四年NTTは移動体部門を分社化してNTT移動通信網(NTTドコモ)を設立、同時に北海道支店を開設した。翌五年七月地域別運営への移行にともなってNTT北海道移動通信網(NTTドコモ北海道)となり、十二年四月にはNTTドコモと社名変更している。
昭和四十七年二月に開催されたオリンピック冬季札幌大会では、組織委員会関係者や報道陣にポケベル約五〇〇個が使用され、ポケベルへの評価が高まったという。北海道通信サービス会社は六十三年十月ポケベルに加えて携帯・自動車電話サービスをはじめるとともにNTTの委託会社となり、社名をNTT北海道移動通信に改め、平成五年十月にはNTTドコモ北海道と合併した(北海道の電信電話年代記 平14)。
昭和六十一年七月移動体通信事業の自由化によって、非NTT系のポケベル会社の参入が可能になった。同十一月一日ホシ伊藤・北電・北海道新聞社・北海道放送・拓銀ほか四行・伊藤組・丸井今井・北ガス等道内二〇社が出資して北海道テレメッセージを設立、翌六十二年十月一日からサービスを開始している(道新 昭62・10・1)。同社は先行の北海道通信サービス会社に対抗して、より低料金で文字や数字も送信できる新型システムを導入した(道新 昭61・10・31)。
両社の激しい値引き合戦はポケベルの利用者増に拍車をかけ(道新 平6・1・6)、ピークの平成八年一月加入件数は約一二万六六〇〇件に達したが、その後PHS(簡易型携帯電話)や携帯電話に需要が移行するのにともない、ポケベル利用者の伸び率は鈍化する(道新 平8・9・11)。
十一年十二月北海道テレメッセージは道内五カ所の営業所を廃止し経営の合理化を図るが携帯電話の猛追はとどまるところを知らず(道新 平11・12・25)、十二年七月十七日同社は札幌地裁に特別清算を申請する(道新 平12・7・18)。ポケベル事業はその後、全国展開するのはNTTドコモ一社のみとなったが、同社が新規加入の受付を十六年六月三十日で終了したことから、ポケベルの歴史的役割は事実上終わることになった(道新 平16・5・18)。