「アイヌ新法」制定を政府に要請してから六年が経過し、政府の一〇省庁による検討委員会が設置されて四年半が経過した六年八月五日付けで、二年前の参議院選挙において日本社会党の比例代表から立候補した萱野茂が繰り上げ当選した。憲政史上初のアイヌ民族の「国会議員」が誕生したことになり、「アイヌ新法」早期制定に大きな弾みと考えられた。同年十二月一日、村山富市連立政権のもと、「アイヌ新法検討プロジェクトチーム」が誕生した。一方、新法制定活動でも、意見書の議決は道内二〇九市町村議会にもおよび、道外の県・市町議会でも決議される政治状況へと変化が見られた(先駆者の集い 65号)。
七年三月一日、内閣官房長官の私的懇談会として「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」の設置と委員が発表され、伊藤正己(東京大学名誉教授・憲法)、横路孝弘(北海道知事・七年四月から堀達也)等七人が任命された。全一一回にわたり会合を重ね、現地視察も行った結果、八年四月一日、梶山内閣官房長官に「報告書」が提出された。ここには、アイヌ民族が北海道に先住した独自の文化を持つ民族であること、アイヌ文化の振興や人権擁護のため「新たな立法措置」を求めていた。「新しい施策の展開」では、「アイヌに関する総合的かつ実践的な研究の推進」、「アイヌ語をも含むアイヌ文化の振興」、「伝統的生活空間の再生」等が提言され(同 70号)、経済施策の充実や先住権を求めるウタリ協会側との間で明らかに認識の相違がみられた。
政府レベルで準備が進められている一方、札幌支部においても八年二月五日「国際先住民の10年事業」の一環行事として、シンポジウム「アイヌ民族の先住権」を開催し、アイヌ新法制定上の法的問題点に焦点をあてた(同 69号)。同年五月十六日同ウタリ協会定例総会で「アイヌ新法」制定の要望事項として、先住民族の権利、対象者、実施責任、法の性格ならびに対策の内容等が決議された。制定の時期として、「平成九年の通常国会に上程されたい」とした(同 70号)。札幌支部も同年九月十四日、「緊急決起集会」を札幌市生活館で開催した。「アイヌ新法」のあり方として、あくまで「先住権」を根拠とした、アイヌ民族の生活基盤の確立とすべてのウタリが享受できるものとしていくことを盛り込む事などの内容を明確なメッセージとして訴えた(北海道ウタリ協会札幌支部30周年記念誌)。
九年五月八日「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」通称「アイヌ文化振興法」が制定された。これに伴い「北海道旧土人保護法」「旭川市旧土人保護地処分法」は廃止となった。