昭和五十三年、札幌に大正十三年(一九二四)以来の真性コレラ患者が三人発生した(表20)。患者はフィリピン観光ツアーからの帰国者で死亡率の低い型ながら、下痢・腹痛・嘔吐の症状で意識不明となり、札幌市衛生部では患者を市立札幌病院に「隔離」するとともに、二次感染防止に全力をあげた。同行者や同じ飛行機に乗り合わせた乗客の追跡調査と健康診査が実施された。原因は予防接種を受けずに海外のコレラ多発地域へでかける旅行者の増加であった。一方、過剰なコレラ騒動が社会不安をあおる結果になったことも問題視された(道新 昭53・8・24)。同年の場合赤痢患者も一二一人発生したが、なかに海外旅行帰りの発生が、疑似も含めて一一人いた(道新 昭53・8・29)。以降も、海外旅行客の持ち帰りが原因のケースは、五十八年のコレラと赤痢、六十二年の赤痢、平成七年のコレラと続く。一方、赤痢は次第に減少傾向にあったものの、平成三年、厚別区の幼稚園で発生した赤痢は、園児や住民など延べ一〇〇〇人を検査したにもかかわらず、感染源と経路は不明であった(道新 平3・12・21)。