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市内中学卒年少者の労働環境

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 昭和二十四年度から二十八年度にかけて、札幌市内の中学を卒業後、市内の事業所に就職した年少労働者を産業別にみると(表37)、各年とも約半数が製造業に就職し、次に卸・小売業、サービス業と続き、この三産業で約八割以上を占める傾向は以降も変わらない。二十八年には男女合計一〇九八人のうち約半数の四六五人が製造業に就き、卸・小売業に三一七人、サービス業には一三六人が従事している。規模はほとんどが三〇〇人以下の中小企業か個人経営である。この時期の中学卒業者は、自らも戦争を体験した昭和十年頃の出生であり、戦死した父や兄たちに代わって家計を支える者や、母子家庭の少年少女も多くいた。就職者のうち女子が六割を占めていた。
表-37 札幌市中学校卒業者産業別就職状況各年度末集計
年度等昭24年度昭26年度昭28年度
産業
農林水産業000000022
鉱業000123112
建設業72914115371956
製造業139148287378186564193272465
卸売業・小売業8496180149116265154163317
金融保険不動産3142101241721
運輸通信公益301242633295226890
サービス業14112584341188155136
公務205979606639
合計2973296296973811,0784986001,098
『札幌市勢概要』昭和26年版及び『札幌市勢年鑑』昭和31年版により作成。
昭和24年度の<サービス業>には、<自由業>男2・女1を含む。

 では、中学校を卒業して就職した職場の労働環境はどのようなものであったのだろう。
 市内の大口事業場は、帝国製麻工場、札幌市交通局、国鉄苗穂工場、五番舘デパートなどであった。二十八年、北海道婦人少年室(室長・上田歓子)等の主催による「働く年少者保護運動」の一日座談会で、年少労働者三〇人が、勤務先の職場環境について語っている。それによると、「年一回の観楓会が待ち遠しい」「昼休みに図書室で読書できることが嬉しい」「終わってから定時制へいくのが楽しみ」という。その半面、「作業終了が遅いため夜学に間に合わない」、市電勤務の少年は「乗車人数に比べ現金が不足していると不足分を給料から天引きされる」など職場の辛さを語っている。また、中学校では「進学者には居残りで勉強させているが、就職者には指導してくれない」「ソロバンくらいは教えてほしい」など、家計の貧困さゆえ、一五歳で社会へ出て行かなければならなかった気持ちや不安を語り、中学校の指導に対しては就職者への疎外と差別を実感したことや、職業指導への希望を強く持っていた(道新 昭28・10・15)。
 これに対して、市内大口事業場の使用者と労働組合側が出席した年少者保護座談会でも、工員に対する社会からの蔑視の傾向や、そのため年少労働者が進学者に対して根強い劣等感を持っていることが指摘され、労働組合員と行政関係者からは「もっと社会全体が年少者たちに劣等感を抱かせぬよう職業に貴賤はないことや、働くことの尊さを知らせるように、賃金面の差別や待遇改善」が要望された。使用者からは「年少者のためのレクリエーション施設を備え付けてほしい」といった要望が出された(道新 昭28・10・18)。
 さらに道婦人少年室では三十二年に市内の商店・理髪店・パチンコ店など一五〇店で働く年少労働者(一八歳未満)一八〇人(うち、住み込み九〇人)の実態調査をしたところ、小規模店ほど長時間の不規則労働が多く、労基法を遵守した拘束九時間うち休憩一時間は全体の三分の一しかなく、特に飲食店や理髪店では拘束一二時間が大半であった。店主側も閉店時間は組合協定によること、客待ち時間に休憩するので実労働は多くはない、他店との競争が激しいので八時間労働は無理であると答えている。月に一回の休日もない店が一二店、二回が一四店、旅館の女中は休日抜きで働いていた。住み込みの場合は自由時間がなく「起きてから寝るまでが仕事」というのが一六人、一四畳一部屋に一二人が同居した飲食店もあり、将来の希望を持てない者や転職希望者は一六人もいた(道新 昭32・9・1)。住み込みは市外から働きにきた中学卒の年少者たちである。これら零細の個人経営では労働組合は組織されず、労働条件について店主と話し合う機会もなく、「家族的扱い」も逆に近代化を遅らせる雇用関係として存続していた。
 このほか、保護対策は時間外や深夜労働、休日労働の立ち入り調査にもおよび、三十三年に札幌労働基準監督署は、市内二四カ所のパン工場を調査し、一八歳未満の工員を一二時間にわたって連日深夜労働させていた一業者を労働基準法違反により札幌地検に書類送検したほか、三業者を戒告処分した(道新 昭33・8・29)。
 三十三年ころに北海道内ではやっと週休一日制が軌道に乗りだし始めた。働いて得た給料にもかかわらず、「年少労働者はお金を持っている。転落や不良化の防止を」(前掲 年少労働行政の歩み)との見方も強くあり、年少労働者自身からは図書館、学校の休日開放や高校生同様に映画割引も望まれるなど、福祉施設による休日の過ごし方が求められ始めた。レクリエーション施設や学習の機会を欲しいといった悩みは、零細事業所では対応しきれない全国的な傾向であり、戦後の復興期を脱して高度経済成長期にかけては、「保護よりも福祉」の充実が求められてきた。