しかし高校収容率は生徒増においつくことはできず、特に全日制普通科定員が不足して、受験戦争が激化した。そのため、道教委では昭和四十一年度から行われていた「大学区」制入試制度の改革に乗り出した。四十五年六月に中等教育振興協議会(中振協)に「高校入試選抜の改善について」を諮問し、それに答えて中振協は四十七年一月に最終報告を提出した。最終報告は、①従来の全道八学区の大学区制を全道二一の中学区制に改編する、②学区外入学枠を五パーセントとする、③入試科目を国語・英語・数学の三科目に減らし受験生の負担を軽減する、というものであった。このうち③については結論が出ず、入試科目は五科目のまま、新しい入試制度が四十八年度から実施された。札幌市内の学区は、中央区を二分する形で「石狩南学区」と「石狩北学区」に分けられた。石狩南学区には千歳・恵庭市の高校が、石狩北学区には江別市や石狩・当別町、浜益村などが含まれ、広島町の北広島高校(53年4月開校)と札幌市内の札幌南陵高校(55年4月開校)・白石高校は共通学区となった。
新学区制施行にあたり、道教委は①同一都市内に公立高校(全日制普通科)が二校以上ある所での総合選抜制の導入を検討する、②実質的に小学区制となっている学区で小学区制の利点を検討する、③高校数が多い学区では細分化も考える、④人口急増地域では高校の新増設を促進する、などの付帯条件をつけていた。札幌市は②を除く事項にあてはまり、今後の成り行きが注目された。道教委は、四十九年七月には公立高校入学選抜改善研究協議会(入選協)を設置し、入試制度改革について諮問した。五十二年三月、入選協は①都市部での総合選抜制導入が望ましい、②学力検査の負担を軽減するなどを骨子とした答申案を提出した。道教委は、翌年三月、公立校入試制度改善案を発表した。しかし全道で開催された「意見を聞く会」では、賛否双方の意見が出された。総合選抜制で学校間格差がなくなり、遠距離通学も解消する、入試日程の短縮は受験生の負担軽減になるという賛成意見に対し、学区細分化で希望する高校から閉め出される、高校数が少ない学区では総合選抜制はむしろマイナスとなる、個人調査書の重視は客観性軽視になりかねないなどの反対意見も出た。総論賛成各論反対で結論が先送りとなり、五十五年度実施が見送られた。