平成五年二月に道教委は高校入試改善の検討を始めた。同年四月に諮問機関である「
公立高校入学者選抜改善検討委員会」(入選協)を発足させ、二年後の報告を受け、さらに道教委で一年間の検討を行い、十年三月三十一日に最終案を決定した。その骨子は①農業、水産系の全学科で、推薦入学者の定員を募集人員いっぱいまで拡大できる、②個人調査書の「第三学年の観点別学習状況」の三段階評価をやめ、所見としてすぐれている点を記す、また「行動の記録」は第三学年のみ記入する、③過大学区を縮小する、④英語の聞き取りや体育実技、作文などを導入することができる、⑤普通科以外の学科では、特定科目の配点を重視する傾斜配点を可能とする、⑥合否判定にあたり、募集定員の一〇パーセントは個人調査書、一〇パーセントは学力検査を重視できる、などである(道新 平10・4・1)。①②については十一年度から、③から⑥までについては十二年度から導入された。③の具体化が、市域の二学区を五分割にするという札幌圏学区の過大化の改正である。新しい石狩第一特別学区は中央区の一部・豊平区・南区、石狩第二特別学区は白石区・
厚別区・
清田区、石狩第三特別学区は東区、石狩第四特別学区は北区・石狩市・当別町・新篠津村・厚田村、石狩第五特別学区は中央区の一部・西区・
手稲区を範囲とすることになった(図6参照)。学区外入学枠はすでに昭和六十二・三年度に減らす変更が行われていた。今回の改正では、それを原則として踏襲することとしたが、上記の石狩第一から第五学区までは二〇パーセントが認められた。
図-6 札幌市の5分割(平成12年~16年度、平成17年度~)
十五年度から、新学習
指導要領が学年進行で実施された。卒業の必要単位が八〇から七四単位に削減され、必修教科として新教科「情報」がおかれた。個人調査書の「評定」記載方法もこの年の入試から絶対評価によるものとなった。多様なタイプの高校として、九年度には総合学科の高校が道内ではじめて十勝圏に設置された。石狩圏では十三年度に石狩翔陽高等学校(旧石狩高校)が総合学科の高校となった。十六年度には市立の旭丘高等学校が学区を全市とする単位制の高等学校となった。また同年度から国際都市札幌市の将来を担う国際的視野と科学的教養を身につけた人材を育成することを目指して、市立の札幌開成高等学校にコズモサイエンス科が設置された。
昭和五十七年度から
市立高校総合文化体育大会が開始された。市立高校に学ぶ生徒が一同に会し、日ごろの活動のなかで養われた力と成果を交流し、吸収しあい、友情と信頼のきずなを強固にすることを目的としている。平成四年度の第一一回大会では、男女二〇種目以上の体育系行事と演劇・合唱・器楽演奏などの文化発表が行われた。