市史5上で記述した昭和三十五年度までに、市域には、国・公立三校と私立一校の四つの大学と私立の六つの短期大学が存在した。大学は、北海道大学・北海道学芸大学札幌分校・札幌医科大学、そして北海学園大学であり、短期大学は、藤女子・天使厚生(昭29年に天使女子へ名称変更)・北海・札幌・北星学園女子・北海道自動車である。三十五年度の市域の学生総数は、大学で九三四五人(男性八七五三人・女性五九二人)であり、短大で二二一六人(男性九三三人・女性一二八三人)であった。また市内の同年度の高等学校から大学・短期大学への進学率は二三・一パーセントであり、同年度に高等学校を卒業した生徒の中学三年時の高校進学率は七四・七パーセントであったから、同年齢比の大学・短期大学進学率は一七・二パーセントということになる。
この割合は、四十年代までに一気に上昇する。四十九年度の高等学校から大学・短期大学への進学率は三八パーセント(全日制一万一四六三人中四五三八人が進学で三九・六パーセント、定時制七三三人中一〇四人が進学で一四・二パーセント)であり、同年度に高等学校を卒業した生徒の中学三年時の高校進学率は九三パーセントであったから、同年齢比の大学・短期大学進学率は三五・三パーセントとなったのである。高等教育「大衆化」の現象がおこったといえる。道全体では、四十九年度の進学率は二七・八パーセントであり、同年度に高等学校を卒業した生徒の中学三年時の高校進学率は八〇・七パーセントであったから、同年齢比の大学・短期大学進学率は二二・四パーセントであった。市は道全体に比べて約一三ポイントも高いことになる。
大学進学率の増加、とくに市での増加は、札幌一極集中の大学・短大設置を生み出した。まず大学でみるならば、三十六年三月の藤女子をはじめ、北星学園(昭37年1月)・東海大札幌校舎(昭42年 のちの昭和52年2月に北海道東海大学へ)・札幌(昭42年1月)・北海道工業(昭42年1月)の四校が市域に設置された(平成15年度 全国大学一覧)。また短期大学では、三十六年三月の札幌大谷をはじめ、北海道栄養(昭38年1月)・北海道武蔵女子(昭42年1月)・光塩学園女子(昭42年1月)・札幌大学女子短期大学部(昭43年3月)・札幌静修(昭44年2月)の六校が設置された(平成13年度 全国短期大学一覧)。これらはすべて私立であった。学部・学科別にみると、大学では文学部・経済学部・商学部・工学部、さらに海洋土木・水産科などが置かれ、短大では、これら以外に保育(幼児教育)・食物栄養・家政・衛生看護・美術・音楽などの学科が置かれた。
同時期には女子中心の大学・短期大学の設置が目に付く。入学者数もそれに相応して、男性以上に女性の伸びが高い。大学では、昭和三十五年度の入学者数は、男性二〇三九人・女性一三二人で総計二一七一人であった。五十年度になると、男性六三〇九人・女性一〇四〇人で総数七三四九人となり、全体で三・三八倍、男性三・〇九倍、女性七・八七倍となる。三十五年度段階の女性の大学進学が非常に少なかったことを考えてみても、女性の大学進学が急上昇していることがわかる。短期大学では、三十五年度の入学者数は、男性五二八人・女性六二〇人で総計一一四八人であった。五十年度になると、男性七〇二人・女性三八九〇人で総数四五九二人となり、全体で四倍、男性一・三二倍、女性六・二七倍となる。ここでも女性の進出がめだつ。五十年度の大学入学者の男女比が八五対一五であるのに比べ、短期大学の入学者のそれは全く逆となる。短期大学は女性中心となっていることがはっきりする数字である。上記で示した短大の学科構成も女性が進学する傾向の強いものが揃えられている。