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大学「改革」の時代へ

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 昭和五十年代に市内では公立の短期大学が増設された。北海道大学医療技術短期大学部(昭55年10月)・札幌医科大学衛生短期大学部(昭59年、ただし平成4年12月に札幌医科大学保健医療学部となる)である。私立短期大学は名称変更はあったが、五十年代には増加はなかった。
 大学・短期大学への絶対進学率(三年前に中学校を卒業した同年齢人口に対する現役・浪人合わせた進学率)は道内においては年々増加した。六十二年度においては、二七・一パーセントとなり、前年度に比べて〇・八ポイント上回った。全国平均は三六・一パーセントであり、道は全国三八位であった(道新 昭62・8・11)。ただ市は、すでに見たように五十年段階で進学率が三五パーセントを超えている。平成元年には全国において女性が三六・八パーセントに対し、男性は三五・八パーセントとなり、女性の進学率が男性を超えた。道の進学率全体では、二七・五パーセントであった(道新 平1・8・4)。なお、第二次ベビーブーム世代が大学に進学する時期にあたる昭和六十一年から平成四年の時期には、国立大学に加え、市内の私立大学・短期大学において臨時の定員増加を行ったところもあった。例えば六十一年度入試にあたって、北海学園大学札幌大学女子短期大学部などが臨時増となった。
 進学率が頭打ちになり、高等学校卒業者数も減少に転じて以降、大学は「改革の時代」に入った。平成三年に大学審議会が大学教育の改善について答申を出し、それをうけて大学設置基準や学位規則が改正されたことも関係する。このときの改正は「設置基準の大綱化」といわれた。設置基準では大綱を定めるのにとどめ、個々の大学が独自の特徴ある教育を行うのが目的であり、大学独自の改革が問われた。また大学審議会の答申では、一八歳人口減に対応して、大学・短大の新増設を原則として抑制する案を打ち出した。
 改革の第一は、短期大学から大学への改組である。たとえば四年十二月には、静修短期大学が静修大学に改組となり、短期大学の一部は短期大学部として残った。また十年十二月には、北海道文教短期大学北海道文教大学に改組し、一部が短期大学として残った。さらに十二年四月には天使短期大学が天使大学となった。
 改革の第二は、新学部・新学科の設置である。そのキーワードは「人・情・国・環」といわれた。文部省が大学設置・学校法人審議会に諮問した六、七年に開設予定の公・私立大、短期大学の名称(案)の傾向は、「人間」「情報」「国際」「環境」関係が約四割を占めたのである(道新 平6・5・14夕)。市内では、九年四月に静修大学および短期大学部が札幌国際大学および同短期大学部に改称した。八年十二月には札幌大学に経営学部産業情報学科が、十二年五月に北海道工業大学環境デザイン学科、情報デザイン学科などが設置された。そのほか多くの大学においても、学部・学科を改組して新学科などを設置した。これと関連して中央部から郊外へキャンパスを移転する動きもあった。国立大学ではすでに昭和六十二年四月に、北海道教育大札幌分校が中央区から北区あいの里に移転していた。また六十三年度には北海道栄養短期大学が食物栄養学科を南区から恵庭市内に、平成五年度には藤女子大学が人間生活学部開設に伴い、同学部と短期大学の家政学科(のち生活学科)を石狩町に設置・移転した。十三年十二月には、当別町にキャンパスのあった北海道医療大学が、心理科学部を市内北区あいの里に設置した。
 改革の第三は、カリキュラムの改革である。これまでの設置基準では、一般教育・外国語・保健体育・専門といった科目区分のなかで、それぞれ修得すべき単位数が決められていた。今回の改正でそれが廃止され、一二四単位以上修得すればよいと大枠が示されるのみとなったのである。各大学では、一般教育系科目を整理統合したり、一般教育科目と専門教育科目を横断する科目を設定するようになった。また一年次から基礎的な演習や学部横断型の講義をおいたりした。学生が授業評価を行ったり、大学が自らの教育活動を点検する「自己点検・自己評価」の動きも本格化した。
 国立大学でも、大きな変革がおきた。北海道教育大ではすでに昭和六十三年に教員免許状を取得しなくても卒業できる新課程を設置し、平成十一年度に教員養成課程の定員を減らした。これらは文部省の教員養成系大学の定員削減方針に則ったものであったが、文部省はさらに組織のあり方に関する方針を示した。それが大学の統合と独立行政法人化への移行であった。大学の統合について北海道では、紆余曲折があったものの、十六年度現在では各大学がすべて単独で存続することになった。また独立行政法人化は国立大学を独立行政法人にしようとするもので、十六年四月から導入された。一八歳人口は年々減少し続け、平成二十年には一二〇万人となる。大学を志願する者が計算上、すべて入学できる「大学全入化時代」の到来が近づいており、今後大学はますます独自の改革が求められる。