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各種学校・専修学校

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 各種学校とは、学校教育法で「学校教育に類する教育を行うもの」とされている学校であり、法律上、三つの課程に区分けされた。各学校卒業段階での区分けであり、中学校卒業程度を高等課程、高等学校卒業程度を専門課程、特に入学資格を定めないものを一般課程とした。多くの各種学校が高等学校卒業程度のものを対象としたため、各種学校は通称として、専門学校と呼ばれた。
 札幌市の各種学校の統計がわかる最初の年度は昭和二十五年であり、当時の札幌市域には、二五校の各種学校があった。生徒総数は総計四六一八人で、そのうち女性が圧倒的であった。また生徒総数のうちの七五パーセント強が和洋裁課程の生徒であった。三十年代以降、新制度が発足する五十一年度までに、各種学校の規模はおよそ倍になり、多様化が進んだ。五十年度の学校数は三十年に比べておよそ倍の一〇二校に達し、生徒総数もおよそ倍の二万一九八七人となった。ただし、合併によって市域が拡大しており、人口増も急激であったことから、各種学校が急激に増加したとはいえない。男女の比率は、三十年には一対二の割合となり男性の割合が増加した。四十年にはいったん男性の割合が女性を超えたが、その後ほぼ同数となっている。
 五十一年一月、学校教育法の改正によって、各種学校以上に組織的・計画的な教育を行う学校を専修学校として認可する制度が生まれた。制度成立後、市内の多くの各種学校専修学校に衣替えした。五十一年には専修学校は六校しかなかったが、翌年には四〇校となり、六十年には六九校となった。それに対して各種学校は九八校、七〇校、そして五一校となった。生徒総数については、五十一年で、各種学校が二万二六五二人、専修学校が六八九人で、あわせて二万三三四一人であったものが、六十年には、各種学校が八五七八人、専修学校が一万一五七五人で、あわせて二万一五三人となった。ほぼ横ばいという数字である。六十三年にはあわせて二万五〇〇〇人を超え、平成四年には過去最高の三万二五九七人となった。一八歳人口の減少などによって、五年以降生徒数は減少に転じ、十四年ではあわせて二万九一〇五人となった。八年三月に卒業した道内全体の高等学校から専修学校への進学率は二〇パーセントを超えた(道新 平1・1・29)。資格取得を武器にし、即戦力の人材養成機関としての「第三の学校」としての位置づけが与えられたといってよいだろう。バブル崩壊以降には、「ダブル・スクール」として、資格取得のために大学生が各種学校専修学校に通うことも多く見られるようになった。男女比率は十四年までの間、各種学校では男性が女性の一・五倍から二倍程度、専修学校では女性が男性の一・二倍から二倍程度となっている。なお、札幌市内には、各種学校扱いの外国人の学校として、清田区北海道朝鮮初・中・高級学校が、豊平区に北海道インターナショナルスクールがある。