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生涯学習への転回

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 戦後、公民館を基底にして展開してきた社会教育行政が、その軸足を次第に生涯学習政策に移す契機となったのは、昭和四十六年に出された社会教育審議会答申「急激な社会変動の変化に対応する社会教育のあり方について」であり、その中で社会教育を生涯教育の観点から新たな体系化を図ることが打ち出された。以後、中央教育審議会答申「生涯教育について」(昭56)を経て、平成二年には「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」が制定され、次いで四年には、この法律によって設置された生涯学習審議会からの答申「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」が出され、生涯学習政策が本格的に展開することとなった。
 それは従来の社会教育を継承しそれと併存することを前提としているとはいえ、その主眼は社会変動に対応し、国民の多様な学習要求に応えるために、生涯学習政策の領域と行政主体を社会教育行政の枠に限らず、広く関連する行政に広げるとともに、民間活力を積極的に活用することを政策的に意図するものであった。
 このような動向を踏まえて、札幌市では、生涯学習は教育行政のみではなく行政全般に及ぶ問題であるとの認識のもとに、五年に関連部局からなる札幌市生涯学習推進構想策定委員会を設置して生涯学習を推進するための基本構想を策定する作業に入り、翌六年には市民の意向を直接反映するために市民の各層で構成する生涯学習懇話会を設置して意見聴取を行い、さらに教育委員会議や社会教育委員会議の検討を経て、七年に「札幌市生涯学習推進構想」を策定した。
 この構想では、(一)「自己を高める」―市民一人ひとりが生涯にわたって主体的に学ぶ意欲と力を身につけ、健やかな心身と感性をはぐくむとともに、社会人のリカレント教育を進める、(二)「活力ある街を創る」―地域活動や青少年の健全育成を進める一方、産業を担う人材として能力開発を進め、環境問題をはじめ現代的課題について学ぶ、(三)「札幌で結ぶ」―人・施設・学習機会・情報を結び、市民の生涯学習を支える学習環境を整備する、という三つの柱を基本的方向性として据えている。
 この構想の具体化は多岐にわたるが、まず、市行政の面から見れば、生涯学習体制に向けた行政機構改革と生涯学習施設の拡充、とくに広域にわたる全市利用型の生涯学習総合施設の建設、さらに情報化に呼応したコンピューター・システム、ネットワーク・システムの整備、市民の学習要求に呼応した生涯学習事業の新設などが特徴的である。
 また、予算面について見ると、例えば施設費と経常軽費などを同列に見ることはできないことと、札幌市の場合には教育費以外の予算の中にも教育関係の費用が含まれていることなどを勘案しなければならないが、五十年代以降の推移を見ると、市の一般会計予算に占める教育費の割合はあまり増大しなかったが、その中にあって教育費に占める社会教育費に関しては、昭和年代にはやや上昇傾向を示していた。さらに平成期に入ると教育費の低下の傾向が見られる中で生涯学習関係予算の比率はかなり上昇して、近年は二〇数パーセントに達しているが、その主な要因は施設費の増額であり、生涯学習施設の拡充に力点を置いてきたことがうかがえる。その拠点生涯学習施設ともいえるのが生涯学習総合センターであり、この開設を契機として社会教育行政も次第に生涯学習へとその内容が移行してきた。