平成元年、札幌在住の藤堂志津子が『熟れてゆく夏』で第一〇〇回直木賞を受賞した。藤堂は昭和六十二年に北海道新聞文学賞も受賞しており(表1札幌の文学賞参照)、以降、吉井よう子、甲斐ゆみ代、桃谷方子(ももたにほうこ)ら女性たちが同賞を受賞し、「圧倒的に女性の時代に入った」(道新 平12・1・12夕、吉井よう子「道内文学の行方」)ことを印象づけた。
さかのぼれば、澤田誠一を講師とする教養講座から生まれた『にれ』(昭和四十四年~五十八年)が、女性のみの文芸誌の草分けであり、南区役所の教養講座から生まれた『鷹』(五十三年~平成1年)も一つの萌芽であった。〈女たちのくらしと文芸〉と明記した『開かれた部屋』(昭和五十二年創刊)は、沖藤典子のノンフィクション『女が職場を去る日』を生んだ同人誌であり、十六年三月で五二号が出ている。
五十五年には、朝日新聞北海道支社が「女性の小説」(平成二年より「らいらっく文学賞」)公募を始めた。他支社にはない独自の企画であり、第一回受賞作は札幌市の沓沢久里(中村久子)「鶴の泪(なみだ)」であった(表1札幌の文学賞参照)。中村久子は「昴の会(すばるのかい)」中心メンバーであり、その出発点は四十年、北光幼稚園の母親たちの読書会「カニの会」(川辺為三講師)であった。「昴の会」は「カニの会」から別れて五十年にスタートしたが、手書き習作集を発行しながら、冊子『昴の会』も五十八年に創刊した。一方の「カニの会」は、五十年に『蟹』を創刊(平成十一年の一三号で休刊)、多くの女性執筆者を生んだ。
その後、女性三人による『白雲木(はくうんぼく)』が六十二年に創刊され、短歌でも平成三年に女性のみの季刊歌誌『英(はな)』が生まれた。俳句では、寺田京子が『日の鷹』で北海道で初めて現代俳句協会賞を受賞したのが四十三年であったが、約二十年後の六十二年、全国俳句の登竜門である角川俳句賞を林佑子が受賞した。さらに翌六十三年には鶴田玲子が同賞を受賞し、札幌の女性が二年連続の受賞となった。川柳では、北海道川柳の発展に寄与した田中五呂八や川上三太郎がめざしたものの一つ「女性川柳の確立」が、六十年代に実現に近づいた。その「旗手たち」として、斎藤大雄は桑野晶子、坪哲子、高橋愛子らの作品を挙げている(「'89―北の文学」川柳)。